6月18日(土)大震災 100日目
とうとう、東日本大震災から百か日を迎えました。妻、母、祖母と一緒に飯野にある光厳寺に行き、大川小学校被災した亡き妹と甥二人の3名に花を手向け合掌した。寺には曹洞宗の南無釈迦牟尼仏と道元禅師の「明窓下に向かうては、故教照心すべし」という教えが書いてあった。深く教えられた。その後、法山寺親戚の三浦家葬儀告別式に妻と移動し合掌し、私は東日本大震災犠牲者石巻市慰霊祭会場である石巻市総合運動公園内特設テントへ。石巻市は巨大地震、巨大津波によって6月14日現在で死者3,097人の尊い命が奪われ、いまだ行方不明者は2,770人となっている。慰霊祭は、黙とうを捧げた後、亀山紘市長が式辞で「ご遺族が悲しみを乗り越える日が、1日も早く来る事を願っています」と追悼を述べた。次に追悼の辞で菅直人内閣総理大臣の代理で松本龍防災担当相・横路孝弘衆院議長・西岡武夫参院議長・宮城県選出国会議員代表で安住淳民主党国対委員長・村井宮城県知事の代理で三浦秀一県副知事・阿部政昭市議会議長の6名が復旧・復興への誓いを行った。次に、遺族代表の言葉では家族3人を失った石川佳洋さんが「今も夢であってほしいと願うばかり。心の傷は生涯癒されないが、私たちが将来に希望を持って人生を切り開くことが弔いとなる」と御霊を慰めた、その思いに涙が出た。ご遺族代表献花、主催者・来賓者献花、参列者約3千人が祭壇に献花した。終了後、親戚や友人たちも多く参列しており、被災時の話題となった。特に、遺族代表で挨拶した石川さんから被災時の様子を妻と伺い哀惜痛恨の極みだ。
午後から桃生「セレモニーホールものう」を会場に大勢の児童と教諭らが犠牲となった大川小学校の合同供養式が行われた。四十九日時のように、祭壇に並ぶ84人の遺影が並び会場のテレビ画面には学校行事に取り組む生前の児童らの写真が映し出されたDVDに悲しみが一層強くなる。供養式には、遺族らおよそ400人が参列、式では遺族を代表し、武山剛PTA会長が「きょうを区切りにに前を向いて歩いていきましょう」と挨拶、柏葉照幸校長が「命を守ってあげられなくて本当にごめんなさい」と児童らの遺影に向かい謝罪、続いて教育長代行の今野慶正市教委事務局長が「これからは津波に対する危機意識を高めるために最善の努力をする。申し訳なかった」と述べた。二度と起こしてはいけないことだ。連絡と報道で目を覆いたくなった。
夕方まで、今日は電話などでの問い合わせも多く、特に仮設住宅の件の要望が多かった。百か日を節目として復興へとギアチェンジしたい。