11月16日(金)石工高創50周年記念

 8時半、議長室には来客ラッシュで集団移転の循環システムの件や生コン関係など星震災復興部長にもお話を聞いていただいた。続いて、㈱アイリンク齋藤代表の依頼で「和がき」関係者(㈱和がき門間浩典執行役員マーケティング部長、WA CAFE早川芳美さん・Conor MC NAMARA、㈱アイリンク山田浩昭管理部、県漁協石巻湾支所 品野光一郎さん)と懇談した。アイルランドと牡蠣による交流、姉妹都市など話題も多く盛り上がった。和がきと芳美さんが来てまるで私の名前「和芳」だ。㈱和がきは、フランス式養殖方法を日本ではじめて採用した。これで世界に発信し交流が実現できれば真の復興だ。時間があっという間に来てサクラ会議に出席した。これまでの経過を伺った。思いも大きく早く成就させたい。
 午後1時からは、宮城県石巻工業高等学校創立50周年記念式典に出席した。開式先立ち、50周年の歴史のビデオ、東日本大震災被災者への黙祷で修礼、開式の言葉に続き、国歌斉唱、今野基学校長が昭和38年4月に県内7番目の公立工業高等学校として設立、翌年は東京オリンピックの開催、新幹線の開業など日本全体が建設ラッシュに沸いた。校訓の「堅忍不撓」と春の選抜出場に触れた式辞。続いて、実行委員長太田卓男さんが、大志を抱け、50年後の100周年は在校生にお願いしたいと挨拶した。感謝状贈呈、祝辞(宮城県知事代理三浦副知事、宮城県議会議長代理齋藤県議)、来賓紹介、生徒代表として木村奈々実行委員長が未曾有の大災害に触れ、詩人ゲーテを引用し「涙とともにパンを食べた人間でなければ、人生の味はわからない」大きな困難を目のあたりにして工業の重要性を再認識し未来の明るい郷土を作るのは私達であると力強く挨拶し、校歌斉唱、閉式の言葉、修礼、式典を終了した。時間をオーバーし、2時35分に議長室に戻り柳田総務部長から臨時会の申し出があり11月26日(月)第7回臨時会を開催することになった。また、全員協議会の申し出もあり、会派代表者会議を11月20日(火)に開催することになった。併せて議会運営委員会の開催を委員長にお話しした。5時半過ぎまで決裁等を処理し、宮城県石巻工業高等学校創立50周年祝賀会のため石巻グランドホテルへ。開会の言葉、太田実行委員長・今野校長が挨拶、高等学校長協会渡邊幸雄副会長・亀山市長祝辞、乾杯で祝宴へ。終了後、帰宅し、野田佳彦首相が衆院を解散し「12月4日公示・16日投開票」の選挙戦に事実上突入した報道を見る。衆議員選挙は、民主党が政権交代を果たした平成21年8月以来の約3年4カ月ぶりとなる。我が宮城5区は、民主党幹事長代行の安住淳さんと自民党新人の大久保三代さん、共産党新人の渡辺昌明さんの3氏の戦いとなりそうだ。50周年のように、積み重ねとこれからの対応が争点となりそうだ。

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