2月8日(土)大雪

 8時過ぎ菩提樹石巻勝又家弔問し駅前の石川で、新藤さんと典子さんと懇談した。話題は、我が国の木造建築教会として最も古い「石巻ハリストス正教会教会堂」について、東日本大震災で中瀬には、大津波が押し寄せ壊滅状態でしたが、「神の奇跡」と呼ばれるこの協会は、木造2階建ての教会堂は柱が折れたり、中の物が流されたりしましたが、教会そのものは流されることなく残り十字架が光っていた。1880年(明治13年)に建築、1978年(昭和53年)6月12日の「宮城県沖地震」で、千石町にあった教会堂は、被害を受け復旧費用の見通しが立たず、教会の遺構を埼玉県の学校法人に譲渡される事になりましたが、その時、歴史的な文化財を地元に残そうという機運ができて、教会・行政・地元の人達とで残す方策を生み出した。新藤さんは、企画系行政対応ボランティアPR45を立ち上げ、その思いが伝わってきた。この件で震災直後から携わってきたが、既に3年が経過しようとし、劣化も著しくなってきているという。宮城県青年の船石巻友の会の活動で月1度清掃活動を行ってきただけに思いも大きい。
 10時半過ぎに復興マルシェで和ガキの会の門間さんと懇談、夢実現のため一歩だ。その後、ニューゼで武内館長と懇談し正午を廻ったところで天気予報の通り雪が降ってきた。1時からは新栄の阿部家で出棺、2時から火葬、6時から通夜へ。
 9時過ぎに石葬会館を出る時は大雪、積雪のため浜の人達は市内のビジネスホテルへ、ゆっくりと倍の時間を掛けて帰宅。故人の思いの象徴かも。

コメントは受け付けていません