7月30日(水)富士市
新富士駅で観光窓口で対応にエールをおくりたい。ここは、富士市は、良質な水資源に恵まれ、明治期以降の近代製紙業の発展とともに製紙産業が集積し、全国でも有数な「紙のまち」として知られる。また、戦後から高度経済成長期には化学工場や輸送用機械等の工場が進出し、バランスの取れた産業構造を有する静岡県内有数の工業都市として発展してきた。市域の位置は、 東京まで146キロメートル、大阪まで410キロメートル、東に沼津市、西は静岡市 、人口は258,241人( 男127,610人 女130,631人 平成26年3月末) 100,241世帯。お話を伺っている中、外国人観光客に流暢な英語で対応、さらにしらす街道など自転車をお借りして津波避難タワーや 田子の浦漁協や湾を通って散策した。特に、田子の浦は、万葉集におさめられた山部赤人の和歌 「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 」 を教えていただいた。10時過ぎに戻り、窓口の職員の方に御礼を言い、逆に東日本大震災のお悔やみと復興などお話を受けた。感謝感謝だ。
11時待ち合わせで、心を癒す研修会に出席した。稀に富士山がくっきりとその姿を現していた。この富士のような不退転の決意こそが大事だ。