12月8日(火)伝え
産経ニュースでラジオから『1941年12月に旧日本軍が米ハワイの真珠湾を攻撃してから74年となった7日(現地時間)、犠牲者追悼の式典が同湾の海軍基地で行われ、攻撃の生存者約50人を含む約4千人が黙祷をささげた。母親が日本人の米太平洋軍のハリス司令官は、終戦を迎えた70年前に「(日米は)和解への道を歩み始めた」と演説。「かつての敵は同盟国となり、激しい戦いが繰り広げられた太平洋地域は安定している」と述べた。真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナ号に乗っていたルー・カートンさん(94)は当時20歳。「逃げるのはとても大変だった」と振り返り「(現在の)平和をうれしく思う。日本人は今は友達だよ」と話した。』と。
いろいろ考えさせられた。午前中は、妻と母それに従姉と一緒に齋藤病院へ、午後からは『海苔漁師とノリノリ海苔ナイト』に出席できず、鮎川へ、牡鹿のれん街とくじらのしっぽで新たな情報発信についてなど懇談。思いが伝わる。