4月21日(木)行方
お誘いを受けていた大川小学校の裁判公判だったが、親戚の不幸と雄勝大須八幡神社祭典のため行けなかった。FBやNHKニュースで『裁判では学校に子どもを迎えに行った保護者や原告などへの証人尋問が行われ、保護者は「車で迎えに行く途中に津波がくることをラジオできいたので学校にいた教諭に『津波が来るから早く山に逃げて』と伝えた」と述べた。その上で男性教諭や数人の児童が『山に逃げろ』と発言する様子を自分の子どもが見ていたことを証言しました。また、息子を亡くした原告の1人は「学校は安全だと信じて子どもの命を預けていた。こういう悲惨な死に方をする子どもも、苦しい思いをする親も2度と出て欲しくない。未来の教訓になるような判決をお願いしたい」と述べた。裁判長は原告が証人尋問を求めていた唯一生き残った大川小学校の男性教諭らについて尋問を行わないことを決め、次回の裁判は6月29日に開かれ、双方が改めて主張を行い結審する」と様子を伝えた。
さて、大須の八幡神社祭典は、9時過ぎに現地に到着した時には神輿が神社から降りて浜へ、その後、「ちょう~さいだ」の威勢のいい掛け声で海に入った。大須小学校のこども神輿も出て平日だったが賑わっていた。お昼には宿前で河瀬先生、地元小積浜でアーキエイドの法政大学から来ていただいた方々から声を掛けていただいた。神輿を担いだ大部分の方はボランティア、中には外国スロバキアの筑波大学院生の方とお話しさせていただいた。午後からはに重要無形民俗文化財に指定された雄勝法印神楽(出羽三山・羽黒山の羽黒派の修験者により伝えられたとされ、山伏神楽の系統を継いでいる)が奉納された。夕方まで心配された雨も降らず、夕方からは、親戚の102歳で逝去された通夜へ。