5月8日(日)母の日
日本経済新聞春秋に、『老いは忍び寄る。健康で血色もいいのに、物忘れがひどくなった。気がつくと、同じ話を何度もしている。過去のことや子供への関心も衰えたようにみえる。消しゴムで消すように記憶が欠けていく。作家・井上靖は「わが母の記」で高齢の母の姿を克明に描いている。
▼機械の故障のようなものだ、と作家は想像する。楽しい思い出はすっかり忘れてしまった。代わりに、昔の暮らしの苦労は、よく覚えている。靴を磨く。弁当を作る。当時はそう思わなかったに違いないことがつらい記憶としてよみがえる。長い間に降り積もったチリが重みを増すように、肩にのしかかっているのだという。
▼「母の日」は米国で生まれた。1914年5月、米議会が決議して国民が祝う日となり、当時のウィルソン大統領は全官庁に国旗掲揚を命じた。母親たちの日ごろの苦労に感謝しようと呼びかけ、全米に広がった市民運動が実を結んだ結果だった。それが戦後、日本に伝わり、カーネーションの花などを贈るようになった。・・・』井上靖さんではないが、なりたくないと思っていても認知症や健康寿命と寿命のギャップは医療費や福祉に関する扶助費の増加が著しくなっている。母の日、感謝しつつ消しゴムで消えるような記憶では、あまりにもはかない。
強めの風だが、新緑がますます色濃くなり薫風の中、ツールドの自転車が牡鹿路を気持ちよさそうに走っていた。渡波支部のBBQにお招き受け、楽しい時間を過ごすことが出来た。後半は、街づくりに対する思いと母の日、かつての良き渡波のお話を伺うことができた。変化する社会の中で、不変に良いものもあっても良いはず。33年に一度の秘仏御開帳の絵と「真実 一すじの 道をゆく」と依頼されていた色紙を書いた。母の日、思いも一層だ。