7月12日(火)昭和
昨日に引き続き、暑い。ラジオから永六輔さんとザ・ピーナッツの音楽がリクエストされていたが、「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」などの作詞をした永六輔さんと「恋のバカンス」や「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子のデュオ、ザ・ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなったことで追悼の意味を込めたリクエストが多い。特に、TVよりラジオ、尺貫法廃止への抗議や放送作家で活躍し「7円の唄」のた永さんのラジオを聞いいていた。また、小学生だった頃、従姉に連れられて見た怪獣映画の「モスラ」は神秘的な感じだったことを今でも覚えている。平成24年に姉のエミさんが亡くなっていたが、何だか昭和がまたひとつ消えた感じがした。
さて、会社の用件で上品の郷の太田駅長と懇談。意欲的な道の駅の運営に、いつも御教授頂いている。差別化による特徴ある経営、そう言えば昨日の八幡屋阿部家御葬儀で石巻料理店組合 大森信治郎組合長さんの弔辞に「稼業化か企業化か」というお話があった。老舗としてお客さまを大事にする思いが伝わってきたのと一緒だ。まちづくりにも「おもてなし」の心が、大事だと感じた。昭和時代は1市9町だったが、平成の合併により石巻市、東松島市、女川町の2市1町となった。行政は変わっても定住自立圏域だ。もっと連携を密にしていかなければならない。過日のとっておきの音楽祭をはじめ歴史と伝統文化を重んじつつ連携をより強化促進していくことが大事だ。