3月7日(火)人として
日本経済新聞春秋に『宮城県南三陸町の戸倉小学校は、かつて海岸から300メートルの所にあった。授業で磯遊びをし、サケを飼育した。そんな恵みの一方で、津波の被災マップでは危険ゾーン内。校長だった麻生川敦さんが先生らと避難の方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。話し合ううち、職員室にはラジオがないことがわかり驚いた。非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか、3.11の大きな揺れが襲う。「必ず津波が来る」。子どもら100人と近くの高台へ。だが、そこも30分後に泥流がのみ込んだ。さらに小高い神社へと駆け上がり、空腹に耐えながら、余震におびえ夜を明かした。子どもらは自宅が全壊し、各地の避難所へ散り散りになっている。先生らも自らの生活の立て直しに追われた。それでも「学校再開が日常への第一歩」と麻生川さんは信じた。外部団体から教材の支援を受け2カ月後、内陸の廃校で始業式にこぎ着ける。長いバス通学にめげず、子どもらは校舎や校庭で歓声をひびかせた。麻生川さんは今、仙台近郊の小学校校長だ。体験を研修などで80回余り伝えてきた。「想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要だ」「地域をよく知る人こそ防災力が高い」など教訓は重い。甚大な被害の下では「教員」としてより、人としてどう動くかが問われると強調する。来るべき日の備えとしてかみしめたい。』が載っていた。リーダーとして、人としてどう動くか、感慨深い。