8月21日(月)キャッチボール
昨日の哲学カフェが残り朝を迎えた。さて、日本経済新聞春秋に阿久悠さんの話が載っていた。ウララ ウララ ウラウラで~の山本リンダさんが歌う「狙いうち」、ピンク・レディーの曲などで世の中を沸騰させた。そんな歌をたくさん残した作家が逝って今年で10年。生誕80年の節目でもあると。生涯に5000曲あまりの詞を書いた阿久さんだが、70年代の作品の輝きは格別だろう。北原ミレイさんの代表曲となった「ざんげの値打ちもない」は、愛憎のもつれから相手を刺した少女の物語である。こういう歌を出せば批判を浴びるという危惧もあったに違いない。それでもあえて世に問い、社会も受け入れたのだという。結びに『阿久さんは「作詞家憲法十五条」なるものを掲げていた。その最後に、こうある。「歌は時代とのキャッチボール。時代の中の隠れた飢餓に命中することが、ヒットではなかろうか」。歌ばかりでなく、さまざまな表現活動に通じる指摘である。時代と格闘し、時代を狙いうちした巨匠は、いまの下界をどう眺めていよう。』。中公新書の「人口と日本経済」(吉川洋 著)を購入、人口減少問題を経済学として考察していた。まさに時代とのキャッチボールだ。しっかりと実践することが大事だ。