3月11日(月)東日本大震災から8年
東日本大震災から8年、涙雨が音を立てて降っていた。石巻市牡鹿地区慰霊碑除幕式典、雨のため式典を大原小学校体育館(雨漏りしていた)で行い、慰霊碑に各々が献花した。牡鹿地区では119人が死亡・行方不明となり慰霊碑は稲井石を用い、犠牲者108人の名を刻んだ芳名板と説明板、小さな石碑を配置し大原地区に芳名板を囲むように高さ4.5メートルのコンクリート製のアーチ型モニュメント「牡鹿祈望の輪」を建立した。雄勝へ移動。石巻市雄勝地区慰霊碑等除幕式典に出席。雨が強く降る中、設置されたテントでの挙行です。石巻市を終え京都伏見ロータリークラブ寄贈、震災慰霊碑除幕式を行った。雄勝地区は236人が死亡・行方不明となりました。慰霊碑には228人の名が刻まれ、多数の犠牲者が出た雄勝病院跡地(雄勝町伊勢畑地内)に市が整備した慰霊公園に建立された。海に向かって手を合わせられるよう高台公園に高さ3.9メートル。台座は幅2.5メートル、奥行き2.2メートルの六角形でステンレス製のモニュメントは合掌する手の形をイメージしたそうだ。また、周囲には海側に3本、山側に11本の柱を立て「3.11」を表現し、雄勝の玄昌石を使ったと説明が有った。大川小学校、妹と甥っ子たちが見つかった場所と御墓参りです。車から乗り降りする度にずぶ濡れになりました。あれから8年、もう8年。同級生の店で遅めのランチをいただき、河北総合センター ビッグバンへ。石巻市東日本大震災追悼式。国追悼式典放映で、秋篠宮殿下入場、国歌斉唱、黙祷、安倍晋三内閣総理大臣式辞、秋篠宮殿下おことばに続き追悼合唱(宮城県立石巻好文館高校と石巻市立桜坂高校の生徒、市民有志)「ことば」「石巻・わがふる里」の合唱で心が癒された。市長式辞、橘復興副大臣・安住衆議院議員・宮城県知事代理河端副知事・木村議長の追悼の辞、追悼電報披露、御遺族代表のことばを徳永利枝さん「雄勝町味噌作で実の母親を震災で亡くし河北の遺体安置場での出来事を語り部として話していく(一般社団法人雄勝花物語代表理事)が述べ献花。夕方、イオン東で同級生にじぞう書家後藤夕深さんを紹介していただき、これまで7年市役所1階で行っていたが今年は場所を変えた話など伺った。店から出て、夕日が出て空に虹を見た。思いは複雑だ。