8月25日(日)照降無
雨だと思ったら、曇天。昨日、NPO法人石巻アーカイブの方々と金毘羅通りなどの通り名や街の名前が話題となったが、日本経済新聞春秋に、地図からは消えたが、江戸時代に照降町と呼ばれた通りがあった。日本橋の一角だ。地名の由来が面白い。履物を扱う店と雨傘屋が軒を並べていた。晴天の日は下駄が買い求められ、雨になれば傘が売れる。転じて、笑う人の横に泣く人がいる状況のたとえにもなった。この往来が変わらず存在していれば、どんな光景になったか。連日のように、尋常ならざる「照」と「降」に見舞われる昨今の夏であると。春秋の「照降無」は、晴れようが雨だろうが無関係。つまり状況の変化に影響されず、確実だという意味で、照降無に命と暮らしを守る手立てはないものかと結んでいた。
さて、震災後に新たな地名が出てきている一方で、以前は何だっけと首を傾げるところも出てきている。ブレない事は大事な事だ。愛称があって親しみやすいことも必要だ。9時30分過ぎ、「令和6年度 松島基地航空祭」が航空自衛隊松島基地で開催。心配された天気も何とか昨年より過ごしやすい曇り、大勢の熱烈なファンが来て盛り上がっていました。娘と歩きながら、各種航空機による飛行展示、装備品の地上展示、露天ブースを回り爆音が一層お腹に響く。11時45分、松島基地航空祭記念会食。主催者挨拶、祝辞(伊藤環境大臣、衆議院小野寺議員。参議院櫻井議員、参議院和田議員。衆議院安住議員、衆議院鎌田議員、衆議院早坂議員。宮城県伊藤副知事、東松島市渥美市長、石巻市齋藤市長。)祝電披露、乾杯。その後、石巻市内で午前中から始まっている第19回トリコローレ音楽祭に移動。おーっ!航空祭に女川町須田町長の代わりに伊丹副町長が紹介されていたが、須田町長率いるバンド出演で盛り上がった。今回のテーマは「海+人そして音楽」、各ステージは7箇所、78団体、総勢420名以上が出演というから凄い。早めに帰宅し読書、「照降無」ブレずに進んでいくと改めて覚悟。