3月8日(土)探究心
岩手県大船渡市の山林火災で、市は本日午後1時、新たに三陸町 越喜来おきらい の3地区(141世帯333人)の避難指示を解除した。延焼の恐れがないと判断した。いつどこで起こるかわからない災害、日本経済新聞データで読む地域再生に「まちのFM災害時の頼り」が掲載。地域に密着した情報を届ける「コミュニティFM」が全国で広がっている。運営中の放送局は10年前より2割増えた。災害時には停電などで携帯電話がつながらなくなる可能性もある。東日本大震災では被災者らが必要とする生活情報を絶え間なく放送して存在感を高めた。放送局数が最も多い北海道のFMいるか(函館市)も災害対応を前面に地域に溶け込むと。コミュニティFMは総務省から免許を受ける超短波放送局として1992年に誕生した。当市のラジオ石巻は、1997年(平成9年)5月28日に開局だから5年後だ。2024年12月時点で345局。記事では、北海道と気仙沼市(東日本大震災の11日後スタート)など取り上げられていた。また、全国の放送局は4割強が赤字、災害時に活躍する一方で、経営健全化の維持が欠かせない。直ちに収益を上げる特効薬はない。住民参加の番組を通じて地域との交流を深め、応援してもらえる放送局になることが重要だと法政大学北郷教授のコメントがあった。
さて、桃太郎伝説と桃太郎神社が石巻市内にあると聞いていて前から気になっていたので旭山の中腹一ノ矢に鎮座している桃太郎神社を尋ねてみた。ここの桃太郎伝説は、
「お婆さんは定川(じょうかわ、昔「情川」と書き桃太郎の人柄を表した)へ洗濯に行ったと。
すると大きな桃が流れて、「来た村」(北村)、だったと。桃が赤いので「赤井」と地名がつき、拾い上げた所が「広淵」になったと。桃太郎は「犬吠坂」の犬、「猿田」の猿、「鳥の巣」の雉を従え、「小友坂」(おともざか)を通って「鬼ヶ島」(金華山)を目指したと。そこで、桃太は鬼征伐をして、お爺さんとお婆を喜ばせ、めでたしめでたし。それにしても、神社の前の石碑「日本一桃太郎神社」の揮毫は内閣総理大臣岸信介(1957年から1960年まで内閣総理大臣(第56・57代)を務めた)が行っている。「霊峰旭山に鎮座する 桃太郎神社は、日本人の心をあたたかく護る ふるさとの宮居であります。この度、北村、大沢出身で旭川市の相田利治氏の郷土愛に燃ゆる篤志御寄付により鳥居を奉献し神域を尊嚴に整えることが出来れた茲に氏に徳を讃え謹してみて録します。昭和46年5月 旭峰 斉藤荘次郎 識」と。斉藤荘次郎さんが気になって、旭山を登って行くと『斎藤 荘次郎先生銅像(1893〜1982年)河南町生まれ、郷里の北村小学校に赴任し、同校校長を最後に教職を去るまで三十数年間、一貫して郷土の教育、地城づくりに献身した。旭山を桜の名所、東北を代表する観光地にしよう。郷土教育に生かそう」と。旭山開発に心血を注いだ雑木を切り、山肌を耕し、桜やカエデを植えた。宮城県議会議員を三期十二年間務める 松島や 金華山を 見はるかし 景色さながら 墨絵の如き 1965年 建立』と。銅像前には、「朝日山計仙麻神社」。宮城県神社庁によれば、『旧深谷荘中の最高峰(海抜174メートル、県立公園)東南は河海を臨み、西北は山嶽を眺む佳地に鎮座する。深谷一の宮旭山宝龍大権現と称す。古老口伝によれば大同年間に勧請、延喜式内計仙麻神社にして、牡鹿郡十座の中の一座という説等々があるが後考を俟つことにする。権現の称を廃され、明治5年3月村社に列し、現社号に改める。大正15年に幣帛供進社に指定された。明治41、42年の合祀令により村内25社が合祀される。古くから農漁村民の信仰厚く、塩入、矢本、大曲浜まで神輿の渡御行事が行なわれて来たが、交通事情により中止され、現在は氏子の里を2年にかけ一巡渡御を実施している』と。参拝。『伊藤洋平 3.11追悼ライブ』を見にイオン石巻へ。「献血大大大ピンチ」と大が3つも、なのでA型400cしました。終えてライブへ、残念ながら終了。「1マイルアートカフェ」午後の部が始まる前にワークショップ「スクラッチアート」の挑戦。油彩画家の山浦多久ニさんの作品を見学し内海誠さんのバイオリンと上村文恵さんのピアノでクラッシック、マーサの歌を楽しめました、明日9日まで。ホエールタウンおしかにて、12年に1度の巳歳御縁年大祭を記念して「第1回えにしマルシェ」本日から10日まで。様々な部位の鯨肉の販売や観光物産交流施設cottu内で明日は「春告げライブ」、ワークショップ等を開催。お疲れ様でした。