11月25日(火)学び
近代的な商業採掘を目的とした石油の「発見」(機械掘りによる油井の成功)からはまだ166年、新燃料の活用は必須だ。先日、前衆議院議員伊藤信太郎さんと新ネルギーについて懇談、まさに石油の代替だ。日本経済新聞に石油連盟の出光興産 木藤俊一氏が第1部 カーボンニュートラル社会実現に向けた課題 主催者代表挨拶 が掲載された。石油業界は、国民生活・経済成長を支える「エネルギーの安定供給」と「カーボンニュートラルの実現」の両立という社会的責務を担っています。サステイナブルな社会をどのように実現していくのか。モビリティやエネルギーの観点から社会全体で取り組めることを将来を担う人と一緒に考えていくと。
さて、市役所で先に行われた陸上自衛隊第6音楽隊コンサートの件ほかを終えて、移動し、日本郵便東北支社が今月21日から販売した石巻市新市施行20周年を記念したオリジナルフレーム切手を購入。水産都市のイメージのドローンを使った新漁港、日和山公園の桜、上品山、恋する大須埼灯台、斎藤氏庭園、寺崎のはねこ踊、新北上川のヨシ原、金華さばの写真を採用。寺崎のはねこ踊、おしかホエールランド、石巻川開き祭りの流灯、金華さばと石巻魚市場と満載。切手は、300シート限定となっている。続いて報告し夕べ第6回和み塾で本日講演をいただく阿部圭いち先生の著書を読み直した。石巻市は、天保の大飢饉(1833〜1837年頃)において甚大な被害を受けた地域の一つだ。その状況を克明に記録した貴重な文献『天保耗歳鑑』などが残されている。 天保4年(1833)6月からの長雨による不作が、天保5年、6年と続き、天保7年(1836)に大規模な飢饉となりました。これにより農民の穀物備蓄は底をつき、山野の草木をあさる状態に陥って、多数の餓死者が発生した。牡鹿郡(半島部を除く)では、地元住民や流入者、一時滞在者を含め、およそ1万人が死亡したと推定されている。食糧不足と米価高騰: 飢饉は仙台藩全域に及び、天保6年には仙台藩の実高が73万石余りも減収するほどの大凶作となり、これにより米価が高騰し、食糧を求める貧民による富裕な商人や地主への「打ちこわし」騒動も発生した(天保7年7月10日など)。天明の大飢饉の回忌供養塔が石巻市北村の高福寺ある。せっかくなので、伺った。山門をくぐって直ぐに左手に切妻屋根の覆屋が建っていた。お花が添えられ、中に丸みをおびた自然石の飢饉供養塔が安置されている。「三界萬靈」の文字、これは三つの世界、すべての精霊に対して供養することの大切さを示すものだ。建立は、天保十三年十月飢餓亡霊・有縁無縁とあった。しっかりと後世へ伝えたい。午後1時30分から石巻市中央公民館で阿部圭いち先生を講師に執筆した書籍『海翔けた龍の記憶-叶わぬ願い 思いの先に-』を題材に、宮城県の漁村、特に雄勝町大須浜に伝わる豊かな歴史や文化、そして東日本大震災後の課題と可能性について解説するものである。講師は、浜ごとに異なる漁法や食文化、そしてあまり知られていない海の情報を多くの人に伝えたいという思いから、高齢の漁師たちへの聞き取り調査を開始。その中で、漁業の話だけでなく、地域の歴史や昔話といった「宝」に触れ、これらを後世に残すことの重要性を痛感した。しかし、震災による過疎化・高齢化で口伝文化が失われつつある現状を危惧し、その保存と発信の手段として小説を執筆した経緯を説明する。講義では、天保の大飢饉における仙台藩の状況や、その中で大須浜の安倍一族が果たした役割、奥州藤原氏や伊達政宗との繋がり、千石船による交易の歴史などが具体的に解説される。最終的に、これらの地域の「宝」を現代のツールで発信し、新たな地域づくりにつなげることの重要性を訴えている。午後3時30分から会派説明会、終えて会派代表者会議のご報告をいただき、会派会議。お疲れ様でした。