11月21日(日)丸森町長選
スペシャルオリンピックスのボウリングのためプレナ宮城に行き、丸森町長選のため昨日「渡辺政巳連合後援会」の事務所開きが行われご案内をいただいていたので事務所へ。5月の市議選にもご夫婦で来ていただいたので妻と伺った。丸森町長選は、12月14日告示で19日投票である。河北新報の記事によれば、『4選を目指す現職の渡辺政巳氏(57歳)と町議会議長の保科郷雄氏(60歳)が立候補の意思を表明し、一騎打ちとなる公算が大きい。』となっている。「協働のまち」がスタートしたばかりで、一人ひとりが「しあわせ」を実感するまち構築のために頑張っていただきたい。
事務所を後にし、丸森町蔵の郷土館「齋理屋敷」へ寄り、敷地面積約2,00坪(6,535㎡)、家屋の数9棟、そして蔵に残された膨大な数の収蔵品、江戸時代の齋理の財力(文化元(1804)年、丸森の町場替えとともに店開きした齋理は、最初呉服と太物を扱い、丸森一帯に生糸の生産が盛んになった。齋理は扱っていた商品からも生糸の値動きには敏感だったようで、自分で養蚕を始めたほか、生糸の相場を開始して、文政11(1828)年には手前金(流動資産)が百両を越えた。天保の飢饉では損害を受けたりもしましたが、幕末、海外との通商の再開とともに生糸相場が好調になり、手前金が二千両と今の上場企業なみの規模に。)明治・大正のまちづくりと齋理、昭和時代と久しぶりに商家の暮らしを楽しめ過日の「悪名の棺 笹川良一伝」を近く感じたような気がした。
帰りに、宮城県市議会議長会で寄りかねた金蛇水神社を参拝。この神社は、一条天皇の御代、永祚元年(989)というから平安時代も半ばの頃のことであるが、京都の三条に住む刀匠小鍛冶宗近が天皇の御佩刀を鍛えよとの勅命を賜り、名水を求めて諸国を遍歴してた。たまたまこの三色吉(みいろよし)の地を訪れたところ、水神宮のほとりを流れる水の清らかさに心をうたれ、早速、水神宮に参籠祈願して神恩を請い、遂に宝刀を鍛え上げることができた。そこで宗近は神の御加護に感謝し、雌雄一体の金蛇を斎鍛して水神宮に奉納し、都に上ったという。以来、この金蛇を御神体と崇め、御社名も金蛇水神社 (かなへびすいじんじゃ)と称して今日にいたっている。パンフレットには春の例大祭(5月15日~21日までの1週間つつじをはじめ外苑の牡丹が一斉に花咲き見事のようだ。是非、「花まつり」にも伺いたいものだ。地元の歴史的素材もまちづくりに活用することが大切だ。