11月28日(日)戦場カメラマン渡部陽一
エンジョイライフ講演会「はーとふる・とーく」戦場カメラマン渡部陽一講演会が石巻文化センターで開催された。渡部陽一さんは、1972年静岡県富士市生まれ、1993年明治大学法学部卒業後戦場カメラマンに。講演会は3部構成で第1部が戦場カメラマンになった理由、第2部は戦場カメラマンの写真による現場報告、第3部が質疑応答で90分間講演。
第1部は、学校の先生に狩猟生活をおくる人たちがアフリカ中央部にいて、その話から、自分自身でそこの民族であるピグミー族に会って話をしてみよう、この目で彼らの存在を確かめてみたい、早速気の赴くままにアフリカへ向かう準備。そこには取材者という気概は無く、旅行者としてピグミー族のもとへ出向くつもりだったという。着くと右も左もピグミー族のいるところもわからない。そこで ジャングルに入るが、高さ20m以上の大木が生い茂っていて、太陽の光が足下に届かないほどに木々が覆いかぶさっていた。そこでは方角もわからなくなり、食糧も水も尽きてしまいました。すぐにジャングルを一人で越えていくことは自殺行為そのものであると気がつきます。それ故、偶然出くわしたトラックに乗せてもらいながらジャングルを横断していきます。「ピグミー族に会うために日本からやってきました。彼らの住む森まで乗せていただけないでしょうか?」運転手は笑顔でピックアップしてくれた。トラックの進むスピード2Kくらいで、歩いた方が早い程度のものでした。あまりにも進みが遅いので、先のことはいっさい考えないようにして日々の苦しみを乗りきった。そして何の前ぶりも無く、突然十数人の少年たちが現れました。トラックの運転手が「伏せろ!」と叫んだ瞬間、少年たちが突然、銃を乱射してきました。トラックに銃弾が何発もあたり、耳元を金属音が飛び交っていく。少年たちが銃を撃ちながらこちらに向かってくることに震え上がりました。その瞬間、死の恐怖に襲われトラックから転げ落ち、そのまま失禁、赤ん坊のよう地べたを這いずりながら、トラックの後部へ無意識のうちに逃げようとしていました。ただ体が恐怖で動かず、逃げることができない。少年たちがこちらに無表情のまま近づいてきました。 彼らは少年ゲリラ兵。ここでは連日至極当たり前にこうした事件がおこっていました。日本からかけ離れたアフリカの森の中で理不尽な行いが繰り返されている。恐怖と怒りに震えながら、この状況を伝えることができないか、その方法を模索することとなりました。 そこで、「職業としての戦場カメラマン。」素直に言葉で伝わらないのであれば、好きな写真を使って伝えることはできないか、カメラを手にして現場に赴き、自ら見たものを撮影して写真を持ち帰る、一枚の写真の力で状況を伝えることができるのではと考えました。そして写真の力にすべてをかけてみようと心を決めました。
第2部は、写真でより具体的に解説、戦争の理由には多くの要因が複雑に混じって起るが、石油問題も大きな原因ですと。
第3部は、質疑応答。みんなの前でもしっかりと話すことが大事であると。石巻の次は世界で会いましょうと。締めくくった。
サンデル博士の正義の話ではないが、カメラマンがシャッターを切ることでスクープすることより人間として被写体を救助することが正義ではないかと問われることがある。メッセンジャーとしての名声も大事だが人命を大事にすることについてはどうか?時間があれば伺いたかったが、TVでみるスローでありながら温かみが伝わった講演会だった。