3月20日(日)大震災 10日目
携帯電話が混線しながらも自宅裏で使えるようになった。復旧作業後、弟と息子が帰り、牡鹿地区小網倉から大原、給分浜、小渕と廻ったがどこも家屋敷が崩壊している。十八成浜も道の上の高台から無残になっている激安酒店が象徴しているように崩壊だ。鮎川まで足を運び郵便局・東洋館が形が崩れ残っている。七十七銀行鮎川支店、ホエールランドまで行き、牡鹿総合支所で成澤支所長に状況を伺った。牡鹿総合支所館内では、行方不明と死亡者併せて113名で、支所職員や児童・生徒にも犠牲者はなく甚大な被害に比べ人命が守られていた。支所入り口の無料公衆電話が混んでいた。帰りに牡鹿保健福祉センターに寄り、市長が述べた同様に「がんばろう 石巻」でエールを送ってきた。
午後1時過ぎ、自宅に戻り荻浜中学校に避難所に寄り、次に月浦に寄り3名行方不明がいた。みんなで炊き出ししガソリン不足を強く訴えられた。桃浦、蛤浜、折浜、小竹、佐須浜も被害が大きい。渡波駅付近の知人を訪ね市役所本庁へ行った。記者クラブで80歳の祖母と16歳の孫が救助されたというビックニュースが流れた。その後、地元の要望対応のため要望した。向陽町に向かい信号も作動したところもあり少しづつ復旧が図られていた。明日は、菅首相が来石するらしいが、仮設住宅をはじめ国の全面支援を願いたい。