3月30日(水)大震災 20日目
本庁に寄った際に見た昨日の朝日新聞の天声人語に「時計」の詩を引用し大川小学校のことが載っていた。又、本日の河北新聞にも崩壊した大川小学校の校舎写真やランドセルが記事となっていた。
朝、息子からのメールで弟に電話したところ妹の仮埋葬が上品山で行われることになったのでと。妻と早速準備し出かけ、弟夫婦と二俣で待ち合わせし上品山に向かった。山の道はとても長く雪も残っている。頂上の自衛隊レーダーから少し下ったところに義弟、ご両親らがいた。妹が勤めていたところの松川さんらもすでにいらしていた。しばしお話をしていると自衛隊のトラックが来て、順に自衛官達が棺を運んでいただいた。7体の中5番目に呼ばれ花を手向け弟夫婦が化粧道具を入れてくれた。ショベルカーで土が掛けられ導師様に読経していただき、みんなで泣いた。帰らぬ甥もいる。終了後、市職員に大川小学校の名札を付けた二人の児童が鮫ノ浦で見つかり遺体を海上保安部がグランディに運んだという。すでに金華山や松島でも発見されているが、一刻も早く見つかって欲しい。河北地区を一望できる上品山は、仏教の言葉から名づけたと聞いたことがある。成仏してほしいと思いを胸に上品山を後にした。帰りに道の駅上品の郷に寄ると知人に会うと食事していた。あたりは別世界で、ソフトクリームを食べている人など様々だ。さくら給水所で60L給水し、本庁、立町を通り内海橋を渡り湊を通過したが旧日赤前は水がまだ溜まっていた。20日も過ぎたのに今だ出口が見えない。