4月2日(土)大震災 23日目
肌寒と感じるが春の足音が聞こえるようだ。はつのおっぴさんの命日で、母の誕生日でもある今日は連絡本庁へ向かいながら(コバルトラインが通行できた)、サプラズとして掛かりつけの病院が再開した(風評で流されたと言っていたがデマだった)ので薬をいただくため並んだが48番目で1時間半を要した。続いてご指南役へ寄り、さくら給水所で給水で60L行い本庁へ。市役所内は、まだ暗い感じがするが、ここは元気を出して心機一転と行きたい。待ち合わせたパイロゲン関係で土屋さんとお会いし、不満が募るライフラインの維持は、須田県議から電話があり石巻鮎川線は片側でも午後3時から通行できる見込みであると。早速、連絡した。一方、電気は何ら説明もないままの状態だ。地元民はいつになるやら、地元を離れるという人も出てきた。何月何日頃の見込みで頑張っていると説明責任を果たして欲しい。女川の例をまざまざと見せ付けられている。現場に来た作業員は約10日前に瑞幸まで通電し桃浦は電柱20本程の設置であると話していたという。3日も掛からないで作業を終える場所もある。一体全体避難所のある荻浜小学校、荻浜中学校を何と考えているのか。しっかりとした対応をして欲しい。
自宅へ戻ると、妹の幼馴染の由利香さんが私のブログを読み妹の状況を知ったと来てくれた。ありがたい、妹も感謝していることだろう。