4月28日(木)大震災 49日目
東日本大震災から49日目、明るくなる前から妻は小豆を煮て49日だということで供養の牡丹餅づくりし妻と大川小学校に向かった。前にも捜索で行ったが道路が破壊され橋が落ちている状況は、今なお大惨事だったこと物語る。大川小学校で先週見つかった甥はあのフェンスのところか、線香をあげ妹と甥2人を偲び合掌。改めて見るとなぜ、橋に向かうより脇にある山に行かなかったという疑問が残る。倒木の話もあったが、杉はしっかりと何もなかったかのように立っていた。前日の雨で、足元が悪かったが周囲を歩き、これからという時に無念さを思うと…。
10時からは、皿貝にある石巻市立飯野川第二小学校体育館で「石巻市立大川小学校 東日本大震災犠牲者合同供養式典」に参列した。式には遺族や学校関係者、市長、教育委員会、河北警察署長、自衛隊、市議など約300人で、祭壇に死者・行方不明者84名の遺影が置かれ冥福を祈りしめやかに行われた。はじめに、実行委員会武山剛PTA会長が主催者挨拶で「今でも帰ってくるような気がする。慰霊碑の建立を」と挨拶した。遺族を代表して鈴木典行さんと狩野あけみさんの2人が代わる代わる「悔しくて会いたくて、助けてやれなくてごめんね」・「早く迎えてやりたかった」と涙ながらにお別れの言葉を語った。続いて、哀悼の言葉で亀山紘市長は「子ども達の霊を安らかならしめるよう心を強く持って」と挨拶し曹洞宗ブロック長である光厳寺導師様をはじめ大川地区の導師様方々による読経と84名の名前を入れ丁寧に読み上げられる中で焼香、悲しさと悔しさですすり泣く声もあった。最後に福田桂太郎PTA副会長が「一つの節目として前へ進んで欲しい。最後の1人が見つかるまで捜索を」と願った。終了後、武山PTA会長から連絡事項として義捐金を百か日1周期に使用したい、84名分の花などについて話があり散会となった。進め方とPTAのPは見えたがTの役割が見えなかったことなどや84名以外にも迎えに行った保護者らなどを思い不満も…。
午後からは、妻と母が49日供養のお寺へ行き、私は石巻専修大学で「堆肥を使い津波被害農地の早期回復 第1回推進会議」に出席し平成22年度戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン事業)について伺った。会議では、公益財団法人福島産業振興センター本田和夫さんの進行で財団法人畜産環境整備機構 道宗直昭さんから「早く短時間で従来型のタイプと違った堆肥を使い土壌活性を図りたい」と、続いて福萬産業株式会社小林功一さんと学校法人日本大学工学部 春木満さんから挨拶があり参加者が紹介され試験概要説明が福萬産業株式会社佐藤洋介さんからあり質疑応答。しかし、田んぼの力は塩害の除塩より汚泥対策(細菌を含んでいるため)怖いので堆肥が有効であると。いづれ、しっかりと対策が必要だ。
夜、お別れの言葉を言った狩野あけみさんの娘さん狩野愛さんが発見され、行方不明は児童6名、教諭1名となったと報道された。49日、どうか全員見つかりますように。