5月22日(日)大震災 73日目

 朝から小雨が降っている。書類の整理をしてると昨年奇しく2010年3月11日の石巻日日新聞のコピーが大事にとってあった。1面、「津波―その時どうする中」で防災意識の低さを指摘してあった。結びに『大地震が発生すれば通路の不通や家屋倒壊などの可能性も考えられる。行政による支援をすぐに受けることは難しい。平時からの備えが有事の際に自分や家族の生きる支えとなる」と記している。その1年後の2011年3月11日が東日本大震災となるが、同じ轍を踏んでは学習が活かされない。備えあればである。命を守るためには、無駄なことはない。
 さて、仙台などから訪ねていただく親戚、知人などでいっぱいだった。また、休みもないまま、塩富町と同様、二番囲いの浸水も一昨日、昨日、今日と浸水後、中々水が抜けない。浸水以上にポンプアップが必要だ。課題はいろいろ増えるが、建設部へ直ぐ対応のため要望した。午後からは罹災関係や応急仮説住宅の件など対応も多い。夕方は、現地と震災後の話や対応などで友人宅へ。それぞれ受け止め方は違うが、「てんでこ考え」自分の命は自分では必須なことだ。ここでも教育長の不在を指摘する声が多い。明日は臨時会、先決処分の承認や特別委員会の設置などで対応を強固に進めたい。

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