6月12日(日)大震災 94日目
東日本大震災から休みもなく動いているが、粉塵が目に入りもらものを受けたように腫れている。抗菌の眼薬もすぐには効果が期待できない。震災時にお世話になった㈱ナリサワ杉山社長に寄り、待ち合わせし大川小の件で会った。4月9日と6月4日の2回分、大川小学校と市教育委員会が「大川小学校の被災状況について」保護者説明会を行った模様が収録されているDVDを受け取った。学校経営者としての校長先生、管轄の市教委を遺族としてもしっかり検証したい。福島原発事故でも説明責任が果たされていない部分が多いが、事実を公表すべきだ。
その後、渡波の石灰運搬や諸要望を済ませ夕方は月浦避難所で仮設住宅関係やガレキが進んでいると伺った。水産業のメインであるかき養殖業も進みに温度差がある。大きくなった組織だが、実際の活動は旧漁協である支所毎のようだ。活力ある漁村形成も人のネットワークだ。地元である小積浜の海岸部分に日本財団がボランティアで活動していただいた様子を見てきれいに片づけられているのでスタッフに御礼を述べた。
夜は、水産業をはじめ二重ローン問題が活動を阻害している。国で政争で右往左往するより被災地を直視せよだ。8時過ぎから3時間半掛けて報告会の様子を見た。4月8日は、校長先生はじめ男性教諭の説明があったが、何を言わんとするのか報告会になっていない。6月4日は亀山市長も加わり順序が明確となったが、4月8日に出た不満と有志が出した要望書に答える報告、愛する我が子を失った原因はマニュアル不備であることより対応のまずさを学校経営者である学校長の心からの謝罪と市立学校であるがゆえに市長から出すべきだった。市長にも問う部分があったが、学校管理は教育委員会であると答弁していたがその責任者である教育長が不在である。任命権者として率直に示す必要があったのではないか。84名の犠牲と言っているが、迎えに行った保護者らの犠牲はどうなるのか、検証作業は終了ではない。