10月1日(土)大震災 205日目

 宮城県議会選挙に関する構図が変化することで電話をいただく。「須田県議 女川町長選へ立候補か」の記事が発端となっているが、東日本大震災は進路を大きく変化させている。
 さて、市役所に行き、9時半からは開成の仮設団地南集会所に集合しかねて依頼されてた日光和楽踊り(大正2年9月6日に大正天皇、翌7日に貞明皇后による前例のない民間工場ご視察として、古河電工日光事業所の前進である日光電気精銅所をご覧になり、この大任を果たした会社・所員の祝賀の席で、自然発生的に歌い踊られたのが発祥の由来とされ、この名誉を光栄の記念行事にしようと、当時の鈴木恒三郎所長と佐竹経理課長が県に願い出たが、当時は盆踊り式のものは取り締まる時世だったので一度は「不可」の達を受けたが、「模範的なものを創る」という所長の熱意が叶い、踊りの種類は手踊り、笠踊り、石投げ踊りの三種類で、盆踊りの名を使わず、「和楽踊り」としました)と歴史のあるものだ。4時間かけて来ていただいた。絶好の秋日和に太鼓と鐘、笛の音色に仮設住宅の人たちが集まりニューヨークからの長濱修也さんと仲間、日光和楽踊り・市役所お囃子会のみなさんの踊りに会場から天気が良かったので青空のもと住民の人達も交じって踊りだす楽しい時間を持てた。特に、桃生はねっこ踊りも演奏し一体となって私も参加。
 終了後、びわこ成蹊スポーツ大学の田中早貴さん、藤井あすかさんと一緒に被災地の話をしながら石巻日日新聞に送り、自宅戻り昨日のマニフレックスのマットレスを各浜の区長さんや若手に引き渡し喜んでいただいた。ソフト面の支援、ハード面の支援と本当に感謝感謝でいっぱいだ。

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