1月24日(金)上杉鷹山

 朝、NHKBSで「BS歴史館 江戸のスーパー変革者(2)」で上杉鷹山について検証していた。上杉鷹山と言えば、1961年、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディが日本人記者団から「あなたが、日本で最も尊敬する政治家はだれですか」という質問に、ケネディは「上杉鷹山です」と答えて一挙に脚光浴びた。番組は鷹山の取り組んだ改革など史実について議論していた。深刻な財政破綻におちいっていた藩財政の立て直し、『藩主とは、国家(=藩)と人民を私有するものではなく、「民の父母」としてつくす使命がある、と鷹山は考えていたが、それは決して民を甘やかすことではなく、鷹山は「民の父母」としての根本方針を次の「三助」とした。 1) 自ら助ける、すなわち「自助」、2)近隣社会が互いに助け合う「互助」、3)藩政府が手を貸す「扶助」だ。このために自助実現のためには、米作以外の殖産興業を積極的に進めた。寒冷地に適した漆や楮、桑、紅花などの栽培を奨励した。漆の実からは塗料をとり、漆器を作る。楮からは紙を梳き出す。紅花の紅は染料として高く売れる。桑で蚕を飼い、生糸を紡いで絹織物に仕上げる。鷹山は藩士達にも、自宅の庭でこれらの作物を植え育てることを命じた。武士に百姓の真似をさせるのかと、強い反発もあったが強い意志で断行した。「互助」の実践として、農民には、五人組、十人組、一村の単位で組合を作り、互いに助け合うことを命じた。特に、孤児、孤老、障害者は、五人組、十人組の中で、養うようにさせた。一村が、火事や水害など大きな災難にあった時は、近隣の四か村が救援すべきことを定めた。これらが、天明の大飢饉をしのいだ。このほかにも、掲げられないくらいの素晴らしい改革が紹介されていた。
 番組終了後9時半に小積浜消防団の視察に山形県へ出発、走行する中、復興状況を目のあたりにし、東日本大震災からもうすぐ3年を迎える。特に、財政も大変厳しい状況に陥るのが目に見えている。今、鷹山のような大きな改革が求められる。

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