4月2日(水)不安

 母の誕生日、79歳。区長さんと5日の区総会資料を作成、消防団から、「南米チリ北部の沿岸で発生したマグニチュード8.2の巨大地震で、震源周辺で2メートルを超える津波が観測された」という連絡が入った。早速、情報をPCで確認、『日本時間の2日午前8時46分ごろ、南米チリ北部の沿岸を震源とするマグニチュード8.2の巨大地震があり、この地震で、チリ北部の都市イキケの検潮所で2メートル11センチの津波を観測したほか、ピサグアで2メートル1センチ、アリカで1メートル83センチ、パタッシュで1メートル51センチの津波を観測した。津波は太平洋の各地に広がっているとみられ、気象庁は、日本の太平洋沿岸にも明日の朝、津波注意報クラスの数十センチから最大で1メートル程度の津波が到達するおそれがあるとして、3日午前3時ごろに津波注意報を発表する可能性がある』と。1960年(昭和35年)のチリ地震津波を思いだす。とは、いっても1960年2月24日生まれの私は、その3カ月後の5月24日で記憶がない。小さな頃か聞かされていたので心配だ。
 立町ふれあい復興商店街、夜は蛇田地区の役員会に出席、市立病院の立地場所への不満など多くの市民から伺う。過去のチリ地震津波同様、地震後一昼夜掛けて大きな津波となった。まさに、この不安のように、復興対応、市立病院、ガレキ処理や大川小学校問題などジワリジワリ押し寄せている。

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