4月15日(火)杉山桜

 日本経済新聞の春秋に、「桜」の話で西行について掲載してあった。西行は、本名を佐藤義清といい、生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人で『新古今和歌集』には最多の94首が入選している。宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。日経新聞の春秋には、『「風にちる花の行方は知らねども、惜しむ心は身にとまりけり」。西行は咲くだけでなく、人の心の内に残る桜を多く詠んだ。西行が登場する世阿弥の能に「西行桜」がある。西行は嵯峨の山奥の庵(いおり)で、ひとり静かに桜を楽しみたいが、都からガヤガヤと花見客が押しかけて来る。「人が群れるのが桜の欠点だ」とこぼすと、老人の姿をした桜の木の精が現れて、こう反論する。「わずらわしいと感じるのは人間の心の問題であり、桜の罪ではない」桜の気持ちになってみれば、ただ咲き、ただ散るだけかもしれない。人間から見るとそれは出会いと別れになる。木の精は「あと少し、あと少し」と舞い続けるが、夜明けとともに姿は消え、後に花が散り敷いていた。桜の季節が終わる。寂しさは胸にしまい、芽吹く若葉を見上げてみる。潔く生きる勇気が伝わってくる』とあった。
 今日は9時半過ぎに石巻グランドホテルに行き、杉山家、㈱ナリサワ・石巻日和ライオンズクラブの合同の「故杉正夫さんのお別れ式」の準備、受付、11時から厳粛に会を挙行した。西行の桜の話が杉山さんと重なり心を打つ。いろいろお世話になりました。合掌

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