4月27日(日)欠
東日本大震災の被災地を14回目訪問している安倍総理大臣が、岩手県野田村の野田中学校の校庭に建てられている仮設住宅で沿岸の復興状況を視察に訪れた後、3年ぶりに全線で運転を再開した三陸鉄道の北リアス線を視察し、陸中野田駅から隣の普代駅まで乗車した。乗車中、全線開通までの道のりなど説明を受け車窓から復興事業の様子を見た様子が報道されていた。住宅再建産業振興など現場視察をしっかりとこなしている。
さて、日本経済新聞の春秋に、『「みんな欠伸(あくび)をしていた」――。1959年に刊行された三島由紀夫の小説「鏡子の家」』で「欠」について書いてあった。確かに今日も暑くこの陽気だとうっかり人前で大あくびをしそうになる。『しかし「欠」といえば頭に浮かぶのはもっぱら「欠ける」のほうだろう。欠陥、欠如、欠落などと、世間の不祥事を語るときにこの文字はしょっちゅう登場する。こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったが、かつて当用漢字を決めるときにあくびの「欠」で代用させた。思えば大ざっぱな漢字改革だったのだ』と。これまで本当に復興についても欠如していることが多い。あくびするよう緊張感がないということか。立町ふれあい復興商店街で懇談する機会を得たが、欠けている話が多いのは現場にあまりにも足を運ばないことに起因する。真の復興が欠けては、話にならない。