6月2日(月)黒電話

 日本経済新聞春秋『黒電話の、あの重厚な存在感は侮れない。なぜか玄関に置く家庭が多かった。専用の台などがあり、レースの敷物の上に鎮座していた。心地よい電子音のメロディーではなく、人間を威嚇するように、けたたましくベルが鳴った。姿を消したのは、昭和の後半だろうか』確かに黒電話は重厚感があり、なぜか玄関に置いてあった。「サザエさん」は今でも玄関近くの廊下だ。
 昨日の「青空まつり」の石巻日和ライオンズクラブ事務局に携帯電話が2つ落し物として届け出があり、後片づけまで連絡がつき、持ち主の方々が現れ引き渡せた。『最近のスマホや携帯は、何と身近な機械になったことか。遠い玄関ではなく身体と一体化し、色やデザインも十人十色。通話よりも文字や画像による会話が多くなった。便利ではあるが、その分、生身の人間の声が軽視されている気がしてならない。スマホの音質は固定電話に劣り、聞こえにくいこともある』日進月歩の科学の力か。しかし、大きく失われた」ものもある。
 一昨日の、岩沼市での植樹はコンクリートの地からも大事だが生態系や自然との共生も考えることのできた植樹だった。文明や科学の発展が人間のおごりとなっているのかもしれない。今日も、大久保代議士と懇談する機会があった、また、住民と復興について懇談できた。原点は人々の声、現場主義だ。

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