7月2日(水)謀る力

 ニューゼの武内館長から薦められ「謀る力」松平定知(小学館新書)を読む。戦国を生き抜いた武将たちは、最小にして最大限の効果が得られる策を求め、総合的な知略、「謀る力」を発揮していた。歴史的エピソードから垣間見える情報を戦術に活かすための「謀る力」は黒田官兵衛・竹中半兵衛・真田家・伊達政宗、人・金・運を引き寄せる「謀る力」は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、夫を出世させる戦国女房の「謀る力」は秀吉の妻於ね・一豊の妻千代・利家の妻まつを紹介し、現代を生き抜くためのヒントが随所に提示してあった。まさに、『今を生き残るヒントは戦国武将の智略にあり』だ。
 さて、市立病院や庁内で赤旗販売、議事進行など傍聴に行った方々と懇談し出てくる、いろいろなお話、元、ベテランや新人元職員も登壇、議員主導による政策論議の一般質問、質問する議員、受ける行政当局も真摯に共に十分な議論を期待したい。山積する課題、「謀る力」が必要だ。夜、2つの連絡、1つは一般質問での議員と市長答弁、中でも市長の言動、北村副市長退任までとそれによる県との関係や3月11日震災後の不在などでじわりじわり核心に入る。私も調べて当時質問したが震災2日目に中里小学校に行き当時の三浦議員や私の友人と市長は出会っている。なぜ、本丸である市役所に戻らなかったのかと問うのは当然だ。議長采配も大変だったようだが、議長の座敷だ、ヤジや議事整理はしっかりとし反問権行使などルールを手際よくだ。質問者の引き出し方は新人ながら「謀る力」か。もう1つは、あまり見ない組み合わせの県議と市議が懇談していたところに出くわしたというお話。何やら静かに静かに揺れを感じてきた。

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