7月12日(日)孔明

 だいぶ資料や書類がたまったので整理、古い文献を見つけた。
『 孔  明
白雲悠々、去りまた来る
西窓一片、残月淡し
浮世をよそなる静けき住居
出でては畑に麦を打ち
入りては机に書を繙く 』
 これは大正から昭和初期にかけての小学国語読本の巻十一(六年前期)に載っていた孔明の明け暮れを詠じたくだりだ。後漢末期、劉備は義兄弟の関羽と張飛の助力で地歩を固め、さらに飛躍するために司馬徽に遇い、「伏竜か鳳雛のどちらか得られれば…』、伏竜こと諸葛孔明への『三顧の礼』となる。その孔明を詠んだ詩に出会え、まさに、その気分だった。ちなみ、「三」は「三省」「三思」「三軍」などと単なる数字の三ではなく、多数を表す語だ。要するに「三顧の礼を尽くして・・・」とういことは、幾度も礼を尽くしてということだ。日本の本来の多数を表す語は「八」、「八百」「八代」八百屋」などなどか。暑い中、借り物のDVDも一挙に視聴でき孔明の如くだ。

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