2月29日(月)上田桑鳩

 日本経済新聞春秋に前衛書道のパイオニア的存在だった上田桑鳩の話が載っていた。1899年5月11日に兵庫県美嚢郡吉川町(現三木市)に生まれ、1930年(昭和5年)第1回泰東書道展に出品した「臨黄庭経」で文部大臣賞を受賞した。問題は、1951年(昭和26年)に日展に出品した「愛」を巡っては論議が起こり、1955年(昭和30年)に同展を脱退する。主催者の側から「これは書なのか」といった非難の声が届いていたため、抗議の意思を表明したらしい。物議をかもした作品の題名は「愛」。作品を写真で見たが、漢字の「品」に見えるような「口」の形が3つで、お孫さんがハイハイするイメージにした書だ。時代も時代、保守的な人たちにはその前衛が理解できないだろう。この書家は、「日本経済新聞」の題字を書いている。『1946年3月1日だから、明日でちょうど70周年を迎えるわけだ。それはまた、日本が敗戦後の混乱から立ち直ろうとするなか、紙名を変え再出発を果たした本紙の歩みでもある。この題字を見ていると、中国に発する書道の伝統を桑鳩がわがものにしていることを、強く感じる。だからこそ、前衛の極みともいうべき「愛」という作品が生まれたのではないか。歴史と伝統の上にたって新たな境地を切り開く。芸術にかぎらず求められる姿勢だろう。そんな思いを胸に、71年目へと足を踏み出したい』とある。
 閏年で4年に1度多い日、新たな出発に期待しつつ、過日お会いした前文部科学大臣下村さんが教育問題について変化に対応する能力や教育の父 森信三さんの言葉を引用した言葉を思い出した。NPO法人の方々とも新たな活動について懇談している際に、市議さんや友人達から「入院しているのか?」という問い合わせがあったが、元気すぎるくらい調子も良い。何ともやるせない根も葉もない話だが、新たな境地を切り開くにはそんな障害も発生するのだろう。気を引き締め一歩前に踏み出したい。

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