5月3日(火)無私
妻から、『殿、利息でござる!』映画について話しを聞いたので早速、磯田道史著「無私の日本人」(文春文庫)を購入し一気に読んでしまった。仙台藩の『吉岡宿』の実話で古文書にも記されている話、「吉岡宿は貧しい町で、藩の助けもない。民家が潰れはじめた。このままでは滅ぶと絶望した住人が自ら動き、金を藩に貸し付けて千両の福祉基金をつくり、基金の利子を、全住民に配る仕組みを考えついた。九人の篤志家が身売り覚悟で千両をこしらえ、藩と交渉した。藩はあれこれいって金を多めに吸い取ろうとしたが、なんとか基金はできた。この九人の篤志家は見上げた人たちで、基金ができた後、藩から褒美の金をもらっても、それさえ住民にすべて配ってしまった。おかげで町は江戸時代を通じて人口も減らず、今に至っている。涙なくしては語れない」という内容で、地元、石巻の鋳銭場や米を江戸に運ぶ際に石巻から船でという身近に感じられることも多かった。作者である磯田さんのあとがきに『いま東アジアを席巻しているものは、自他を峻別し、他人と競争する社会経済のあり方である。大陸や半島の人々には、元来、これがあっていたのかもしれない。競争の厳しさとひきかえに「経済成長」をやりたい人々の生き方を否定するつもりはない。彼らにもその権利はある。しかし、わたしには、どこかしら、それには入っていけない思いがある。「そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか」という、立ち止まりが心のなかにあって、どうしても入ってゆけない。この国には、それとはもっとちがった深い哲学がある。しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が宿っていた。それがこの国に数々の奇跡をおこした。わたしはこのことを誇りに思っている。この国にとってこわいのは、隣より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっているこのきちんとした確信が失われることである。ここは自分の心に正直に書きたいものを書こうと思い、わたしは筆を走らせた。』とあるが、江戸時代の生活や人々の思いなどが、ひしひしと伝わり感動した。