12月17日(火)あいまい
日本経済新聞春秋に、『「永田町文学」「霞が関文学」という言葉がある。政界や官界で、あいまいな文言を連ねた書面をつくって各方面の顔を立てる、あるいは責任逃れをするワザのことだ。地球温暖化対策を話し合う国際会議COP25は、会期を2日延長して「COP文学」で幕となった。』の書き出しだ。昨日に続き石巻市議会本会議一般質問5人登壇し台風19号災害や大川小学校訴訟について質した。しかし、あいまいな答弁と言わざるを得ない。春秋のようにあいまいは、責任逃れだ。春秋は、『災害は弱いところを直撃する。温暖化も同じだろう。南太平洋のツバルは消滅の淵に立ち、ユーラシアでアフリカで砂漠化が進む。アフガニスタンで殺害された中村哲医師がペシャワール会報に寄せていた最後のメッセージは、おりしも「凄(すさ)まじい温暖化の影響」と題する一文だった。19年間の体験に基づいた訴えである。干ばつによってアフガンの国土は破壊されつつある。なのに相変わらず拳を振り上げ、札束が舞う世界は「沙漠(さばく)以上に危険で面妖なものに映ります」と中村さんは憂えている。「こうして温暖化も進み、世界がゴミの山になり、人の心も荒れていくのでしょう」。あちこちの「文学」は、この言葉にこたえられるだろうか。』と結んでいた。
「桜」が国会では話題になったが、桜に関する文学は心地よく日本人には好かれる。それは、あいまいだかではなく潔いからだ。