11月25日(金)フリーライダー

  障害のある人が農林水産物の生産や加工に携わる「農福連携」について考える「全国フォーラムin石巻」が22日、石巻市防災センターで開催された際に来石いただいた元厚生労働事務次官の村木厚子さん。本日到着の日経ビジネスの「賢人の警鐘」に『日本は先進国の中でも65歳以上人口の割合が高く、高齢化が進んだ国だ。平均寿命も長い。こうした課題が日本の社会保障制度の持続可能性に影響を与えている。しかし、これは誤った見方だ。確かに日本の平均寿命は1970年代以降、国民皆保険制度や介護制度の充実で延びてはいる。だがそれは医療や福祉が社会の進歩とともに発達する先進国共通の傾向でもある。問題の本質は長生きにあるのではない。子どもの数の減少である。子どもが生まれなければ日本の高い高齢化率は解消されない。にもかかわらず、日本は30年以上、この問題を放置してきた。結果、子どもを産める女性の数自体が減ってしまい、現在急速な労働力不足に直面しようとしている。労働力の「量」のみならず、「質」の問題も抱えている。これは非常に大きな問題だ。よい教育はよい職を手にする手段でもあるが、教育格差が所得格差を生み、それがさらに次世代の教育格差につながる──。そんな悪循環が今の日本では起こってしまっている。東大生の親の半数が年収900万円以上であるのは、その象徴といえるだろう。ただでさえ子どもの数が少ないのに、経済的な問題で教育格差が生じてしまうのは、人材の無駄遣いにほかならない。子どもを生む人をきちんと応援する。そして良い教育機会をすべての子どもたちに提供する。この2点にきちんとお金を使わなければ、日本は立ち行かなくなる。問題はその財源をどこから持ってくるかだ。現在、2023年4月に発足する子ども家庭庁にかかる費用をどう捻出するかが話題となっている。高齢化率が年々高まる日本では社会保障関連の費用が膨らむ一方で、その余力がないのは分かるが、将来世代への投資を怠ってはならない。個人的には、将来世代にかかるコストは企業、つまり産業界がきちんと負担すべきだと考える。なぜなら企業は社会に輩出された人材を使う側であるからだ。加えて、子どもの数が増えれば、企業のモノやサービスの利用者の増加にもつながる。マクロレベルで見れば、企業は圧倒的に人口増の恩恵を受ける側、すなわち受益者なのだ。かつては企業も人にお金をかけていた。大学を卒業したばかりの若者に様々な教育機会を与え、職業人として育てることに力を入れていた。だがバブルが崩壊し、景気が悪くなると、企業は自社で人材を育成するのではなく、外部から調達するようになる。時代の変化が速くなり、求められるスキルが目まぐるしく変わるようになったことも社内育成を難しくし、外部調達に依存する要因となった。今の日本は企業も大学も、職業人として活躍するスキルを付与する機能を十分持たない、中途半端な状態になってしまっている。優秀な人材が育たないと企業も成長しない。今こそ、人を育てるにはどのような仕組みが必要で、コストをどう負担すべきか、再度考え直すべきだろう。企業内育成が難しいのであれば、大学にその役割を与え、企業が費用を負担する形でもよい。雇用保険料率をアップし、コストを企業全体で負担する方法もあるだろう。良い人材はただでは手に入らない。企業がフリーライダーになるのだけは、避けたいものだ。』と少子化を放置した日本の結果について詳しく掲載があったので、全文掲載。昨日の代表者会議で最大会派の申し入れがあったが、違和感を感じた。フリーライダーにならず、基本に立ち返って欲しい。

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