3月24日(金)五松山洞窟遺跡

 JR石巻線「渡波駅」新駅舎が本日から開始。これまでの駅舎は石巻線が開業した1939年に建設され、83年が経過して老朽化のため8月に工事に着手していた。新駅舎は鉄骨コンクリート平屋建て。県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)の最寄り駅であることから、サン・ファン・バウティスタ号の見張り台をモチーフに半円形のデザインにしたと。延べ床面積は48㎡で、現駅舎より約75㎡狭くなっているが素晴らしい。続いて、令和4年年11月2日地元紙『発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>五松山洞窟遺跡』が掲載され、その後、『海から読み解く日本古代史-太平洋の海上交通-』近江俊英(朝日新聞出版)を購入して五松山洞窟遺跡と遭遇し、調査。五松山洞窟遺跡は石巻市湊字町裏山にあり、旧北上川河口東岸の牧山の粘板岩丘陵裾に位置し海岸と河口の接点に当たる洞窟遺跡。この遺跡の周囲には箱崎山洞窟や伊原津洞窟など同様の洞窟遺構が数カ所分布している。1982年10月22日の石巻新聞に「古墳時代の人骨か?」の見出しで載った。そもそも落石防止の工事中に遺跡が発見されたのだ。近江氏によれば、10月26日〜11月7日にかけて発掘調査が実施された。調査の結果、洞窟内から弥生時代と古墳時代後期の遺構が見つかった。そのうち古墳時代後期の6世紀後半から7世紀初めには墓として利用されていたことが分かり洞窟には埋葬後集骨された19体以上(縄文人)の人骨とともに金銅荘圭頭大刀、金銅製耳環、鉄製衝角付冑、鉄鏃、鹿角製弓弭・弣・刀子柄・装身具、貝製腕釧、須恵器提瓶などの豊富な遺物が出土した。1988年「五松山洞窟遺跡-発掘調査報告-」を教育委員会からいただき市役所で検証。
 午後から、第27回宮城野石巻書人会展・第21回学生展が、ナリサワカルチャーギャラリーで開催(本日〜26日(日)まで)。先生に墨象のご案内をいただいた。故人となった恩師で宮城野書人会の雨石先生を思い出し、作品のかな、漢字から墨象を見学し、墨象もやってみたくなった。4時に狐崎浜区長さんへ。地域要望が多かった小積-牧浜-竹浜-狐崎線の竹浜地区内の舗装修繕工事が令和5年4月3〜4日に実施する。交通規制(迂回路)などご協力をお願い。夕方、市議会懇談会で交流。

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