4月24日(月)意義
8時に市内に入ると街頭演説の声。10増10減の改正公職選挙法が成立し宮城県の小選挙区は1減で5選挙区になり、石巻市域は4区に変更。衆議院伊藤信太郎議員、比例区支部長森下千里さん、宮城県議会佐々木喜蔵議員が街頭演説中。ご挨拶して途中から加わり演説。午前10時から地域交通対策特別委員会が委員会室で開催。今後の委員会活動についてなど協議し、原案をベースに正副委員長に一任し終了。市役所で対応して午後2時半から、石巻観光ボランティア協会主催の歴史講座が宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)平川新館長を講師に「なぜ政宗がサン・ファン・バウティスタという船名になったのか」石巻市かわまち交流センターで開催され出席。慶長遣欧使節船は、スペイン語で「サン・ファン・バウティスタ号」(洗礼者聖ヨハネ号)と呼ばれている。それを文献とアカプルコ湾に停泊していた報告書などからわかる。しかし、仙台藩では「大船」「黒船(舟)」の記録のみで、『政宗の船』という認識が一般的。伊達政宗自身、自分が造った船に、この名前が付けられていたことを知らなかったとみなすのが妥当だ。支倉を案内したソテロも知らない。なぜスペイン人は、政宗の許可もなくスペイン語の船名を付けたのか。1617年3月7日の2回目入港時には命名済(メキシコ副王大使ビスカイノの可能性が大)。日本で造船した洋式帆船の船名(徳川家康が造らせた3隻の帆船)から考えられること「日本名」はあったはず(平安時代以降「〜丸」の船名慣行)。文献や歴史的背景と1992年慶長遣欧使節船の復元までを考察。そこで、政宗が造った船を植民地主義に由来した「サン・ファン・バウティスタ号」日本とスペインの関係を象徴している。日本に由来する、史実を踏まえて周知しやすい船名、伊達政宗と連携した複合名称で共存も「伊達政宗の黒船サン・ファン・バウティスタ号」などの可能性を提案。質疑応答で終了。本間知事時代の伊達なクニづくりの1期生として懐かしい思いで拝聴できた。4時半に渡波、その後に自宅に戻り、衆参5つの補欠選挙と統一地方選挙の後半戦の結果と分析報道を見る。