6月30日(金)古里
河北新報に『激震の記憶 ゼネコン汚職30年』が掲載させている。仙台市長と宮城県知事らが逮捕されたゼネコン汚職事件で、検察が強制捜査に乗り出して29日で30年。市も県も入札改革や情報公開を進め、癒着の芽を摘む努力を注いだが、東日本大震災による巨額の復興事業を背景に、政官業が再び間合いを詰めているようにも映る。激震の記憶をたどり、事件の今日的な意味を考えたというもので、本日は、古里汚され怒りの出馬 前宮城県知事浅野史郎氏だった。1面から3面、時代と共に目の当たりにしてきたので感慨深く読んだ。さらに、戦った後のわだかまり解消は時の経過に委ねるしかないのか。会津藩、長州藩として戊辰戦争(1868~69年)で敵対した会津若松市と山口県萩市の「和解」は実現していない。民間レベルの交流が進む一方、「市長同士の握手は別」と会津若松市は拒んできた。長州、薩摩(鹿児島県)を中心とした新政府軍から朝敵とされ傷を負い、戦後も薩長閥の明治政府にさげすまれたという遺恨が根強いと。曖昧ではなくしっかりと議論してわだかまりを取り除く必要がある。冒頭のゼネコン汚職も時代劇などであるように「⚪︎⚪︎屋お主も悪よのう」と古今東西変わらない。身を削る覚悟で厳正に対処して行く。
さて、月末でボーナスがニュースの話題となっていた。冠水や雨で詰まった側溝などの対応で市役所。議会事務局に寄ると秋の県議選に噂されている同僚議員と会った。事務所開きはと伺うと9月と話してくれた。思いもあったが、夕方、弔問して自宅へ。月末四半期の1期、かつての勤務時代を思い出しながら変化する業態も客観的に見ると面白い。