10月18日(金)歴史
ホテルから近いので「小倉城」へ。関ヶ原の戦いの功績で細川家が小倉入り、1602年(慶長7年)、細川忠興公によって約7年の歳月を費やし小倉城が造られた。2019年に大幅にリニューアルされ見学する方々も増えたと。総務企画委員会行政視察を終えて、帰りの飛行機から景色が鳥瞰図のように見えた。昨日、ZENRIN MUSEUMは素晴らしかった。古くから人類が作り上げてきた地図には、当時の営みや世界観、「歴史」が克明に映し出されている。国土を把握(三世一身の法、墾田永年私財法)。世界の中の日本、14世紀のヨーロッパは、地図制作者が空間的に把握できた世界は極めて限定的だった。その世界観が広がるにつれ地図も大きく変化していく。大航海時代のヨーロッパでは「ジパング」という国の存在を伝聞で知り、想像で地図に描き始めてからポルトガル人来航により実在の国として認識され、キリスト教の布教、イスラム教、東方見聞録「黄金のジパング」。続いて、伊能図の出現と近代日本では伊能図ができるまでは49歳で隠居し天文方の道へ進み、緯度1度を求めるべく蝦夷地測量を行い、その成果が幕府に認められ日本全国の測量事業を開始する。飛行機やドローンを使ったわけではない。足で実測に基づいて日本全図を作り上げたのだ。日本を揺るがした伊能図(シーボルト事件とその影響)、伊能忠敬の天文方の師高橋至時の息子高橋景保が、オランダ人医師シーボルト日本地図を渡し罪に問われた。伊能図と日本の夜明け。名所図会・観光案内図・鳥瞰図の世界(吉田初三郎)。副館長で学芸員の新井啓太さんは、Zキュレーターで解説と懇談でき「TO図」“T”は大陸を分ける地中海と河川を示し、“O”は海を示すと。伊能忠敬の「伊能図」が幕府より門外不出とされていたこともあり「長久保赤水」の「赤水図」は4,200もの地名入りで刊行されていた。情報の多さと正確さから模倣版や海賊版も多数出回るほどの人気だったと教えていただいた。飛行機で図書を読みながら上空から見る日本に感慨深い。