10月29日(火)方向
慶長使節船は、木造洋式帆船で 1613年(慶長18年)10月28日に仙台藩牡鹿半島の月浦から出帆した。伊達政宗公が、メキシコとの直接貿易と仙台藩への教師派道を求めて、スペイン国王やローマ教皇のもとへ派遣した外交使節。大使として選ばれた政宗の家臣の支倉常長とそ の一行は、太平洋を横断した。船は 約7年間にわたって、メキシコ、スペイン、イタリア、フィリピンを旅し、政宗の使命実現のため力を尽くした。船は、向こうで洗礼を受け『サン・ファン・バウティスタ号』となった。先日、サン・ファン館は、リニューアルした。411年前のきょう、月浦から夕刻に偏西風に乗れる適地である、ここから出帆した。その思いは感慨深い。
さて、日本経済新聞春秋に独特の語り口から「アーウー宰相」と呼ばれた大平正芳元首相は、東西の思想に通じた政界屈指の知性派でもあった。彼は1971年3月、「新権力論」と題した文章を本紙に寄稿した。ルネサンス期の政治思想家のマキャベリを下敷きに、権謀術数の意味を考察した。その中にこんな一文がある。「(権力は)それ自体孤立してあるものではなく、権力が奉仕する何かの目的がなければならない」。それは権力と比べて「より高次のもの」であるべきだとした。そのころ大平は派閥のトップの座をめぐるあらそいのさなかにあった。力を手中にしようとする自らに向けた言葉だったのだろうかと。いわゆる、目的、方向を定めて進路をとれということだ。社説にも『国政の停滞回避へ各党は責任ある行動を』と。国内外に難しい課題が山積するなか、国政の停滞は許されない。各党の連携では、国民のためにいま必要な優先政策は何かという視点での責任ある行動を求めたい。結びに、経済運営や社会保障改革、地方活性化や憲法改正を含めて、各党が建設的に話し合える余地は大きいといえる。与野党の議席が接近したいまだからこそ、熟議で解決できる課題は多いはずだと方向をしっかりと国民に示していただきたい。