12月20日(金)転換期

 『渡辺恒雄氏に赤紙が来たのは、1945年春に東大に入ってまもなくである。当時19歳。配属先の砲兵隊には木製の弾しかなかったそうだ。「本土決戦なんて言っていた奴(やつ)は許せない。本当にバカげた戦争だった」。後にそう述べている(週刊文春編「私の大往生」)。小学校で詩人、中学で哲学者を志した早熟の人。戦時中はヤミ米で哲学書を購(あがな)うこともあった。敗戦後に復学するとカントを貪るように読む。…』と日本経済新聞春秋。『新聞記者を本気で目指そうと思ったのは、大学時代に受けた読売新聞のセミナーだった。課題の作文が高評価を得てその気になった。セミナーの講師が何人かいたが、一人だけ忘れられない人物がいる▼訃報が届いた読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんである。…』と河北春秋。新聞は、ナベツネこと渡辺恒雄さんの訃報でいっぱい。毀誉褒貶の多さでジャーナリストと合わせて政界へフィクサーとしての影響力も大きかった。今、TVや新聞でのマスコミからSNS全盛と大きな転換期だと感じた。
 さて、月命日で遺構大川小学校が壊れていることについて説明受け、タイミング良く翌日の12月12日一般質問で取り上げた。齋藤市長から「未来永劫この姿を見せられるよう存知保存で補修したい」と答弁。翌日の石巻日日新聞に掲載された。昨日、また落ちて来てメールで報告を受け、朝一番で担当課に行き総務部へ。部長・次長を交えて担当課長と協議。小さいうちから対応しないと大金が掛かる。目に見えない対応では、「放置」と思われても仕方ない。しっかりと対応を要請した。終了後に議会事務局へ先の一般質問について議会だよりを提出。市民課で要件を果たして、久しぶりにメンズカーブスへ。私のSNSを見て加入した方がいたと嬉しいお話し。ランチは本年最後のさくら会。大きな転換期には、未来を見据える確かな知識と経験が大事だ。しっかりと流されず選択して行く。

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