4月16日(水)幸せなネズミ

 昨日の石巻かほく「海辺の森から」神吉雄吾さんの「幸せなネズミ」について前に読んだことのあることを思い出した。1973年に発表された論文「Death Squared:The Explosive Growth and Demise of a Mouse Population」だ。自然界の動物たちが死んでしまう要因というのは非常に多くのものがある。自然や災害や寿命など。でも、それ以外の要因で起きた実験は「幸福なネズミたちの実験」で明らかにされた。1968年7月、最初に生後48日の4ペア、オス・メス計8匹のネズミは、自由に行き来することができるトンネルや休むことができる巣も用意され、食糧も水も豊富に用意され気温は摂氏20度になるようにコントロールされまさに天国。その後、約55日ごとに子どもが増えつづけ、最大時2200匹まで増えた。数の増加が一定数に達すると、次は数が減っていく流れへと変わっていった。本来であれば、成長した若いネズミたちは家族から外へと出て行くが、閉じられた世界の中で過ごすので、仲間同士で争い、傷を負った負け組の若者たちがしだいに施設の中央付近で活動性を失ってしまうような様子が観察された。そして920日目、最後の妊娠が観察され1972年の6月には122匹だけが残り,1973年5月には最後のオスが死んで絶滅。ネズミたちの様子は,まさに大都市の中の人間のふるまいによく似たものになっているかのようだと。数が増えると互いに争ったり、生き残ったネズミたちは無気力になったりする様子が観察され、次第に数が減っていく。しかもこれは,何度も同じことが繰り返されるようだ。人間の世界でも、もしかしたら、私たちがもつ社会的なシステムも同様なことが言えるかも。世界の人口はどこかをピークにして、ネズミたちと同じようになっていくのか。古代史を学びながらいろいろ考えてしまう。きょうは、栗原市長選挙候補予定者の「千葉けんじ」後援会事務所にエールのため伺いました。激戦区に3度目の同級生対決、過去1勝1敗で予断を許しません。必ずや勝利できるよう心からご祈念申し上げます。築館からR4号を通り、田尻の加茂神社を参拝。神社は、元虚空藏堂と称し、田尻村の鎮守で大杉とよぶ地に鎮座す。別当千手院、先住常宝院(天野宮司祖先)代願の上貞享5年春3月田尻町元町頭に勧請す。明治維新の際現社号を改む。明治5年3月村社列格。同41年供進社に指定された。明治43年3月北牧目八幡神社、通木八雲神社、町の岡明神、北大杉の天神社を合祀した。現社殿は昭和60年改築したと記してある。加茂神社を後にし、間もなく「郷倉稲荷神社」。神額も無く詳しい記しもなかったので宿題。自宅に戻り、何不自由ないことは決して満たされていないように思えた。宮城県内、合併4市長選(石巻、登米、栗原、東松島)が今月20日告示で27日投開票の日程で行われる。「平成の大合併」を強力に推進し20年の検証も行われる。かつて、参戦し今回も要望されたが、新たな気持ちで来年へ臨みたい。幸せなネズミにならぬよう。

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