6月16日(月)推移

 誕生時、多くの関係者に祝福された。「胸躍る思い」「期待でいっぱい」。2005年3月31日の河北新報の第2朝刊には将来への夢にあふれる言葉が並んだ。翌日1市6町が対等合併し、新「宮城県石巻市」が誕生した。人口17万人。人口減少は始まったものの、各市町の産業や自然、文化の相乗効果が、第2県都を押し上げると期待された。合併から20年。住民は13万人に減った。単純に合併を総括できないのは無論、東日本大震災があったからだ。沿岸旧町の減少は著しく、特に合併時5000人だった雄勝地区は1000人を切った。合併特例債を活用できる新市計画は、震災や法改正で30年まで延長された。各施策は市総合計画に盛り込まれるが、取り巻く環境は厳しさを増す。7日に市内であった式典で、齋藤正美市長は「20年で培った絆と知恵を基に、持続可能な街への変革を進める必要がある」と述べたと。河北春秋に今度の一般質問で質したい一部が盛り込まれていた。
 さて、本日は、保健福祉委員会と産業建設委員会。会派室で傍聴しこの連休でいただいた諸課題について市役所内を回り、蛇田方面に説明に伺った。話が弾み懇談できた。お昼過ぎ、メンズカーブスで汗を流し1時過ぎの遅いランチ。「忙中閑あり」ジプリでいっぱい。トトロ・カオナシ、ジジ・キキ、ゆばーばなどファンタチックのミニモニュメントを見て楽しくなった。注文していた本を受け、区の草刈りなど区長さんから連絡をもらい対応。自宅に夕方戻ると牡鹿新聞が着いていて、石巻市5月末の人口調査結果が「世帯数は増減なし、人口減少」と北上・牡鹿地区が2000人を割り、雄勝地区986人に。春秋には、それぞれの特色を生かした地域づくりをどう両立させ、持続可能な石巻にするか。45年に人口が86,000と、合併時から半減するという推計がある。次は広域合併都市の存亡がかかる20年となると結んでいた。広域と言えば1市9町の安住議員の祝辞を思い出す。知恵を出していきたい。

コメントは受け付けていません