9月17日(水)ロマン

 予測できた結果だが、『私立大学の公立化、8割で地元就職率低下 学費下がり地域外から入学増』日本経済新聞 。地方の私立大学が公立化した事例のうち、8割で卒業生の地元就職率が低下したことが文部科学省のまとめで分かった。公立化に伴う学費減で人気が高まった結果、地元からの入学者が減ったことなどが影響したとみられる。地域人材を育成し、定着を促す取り組みが各大学の課題となると。
 さて、9時半過ぎ市役所に向かう途中で渡波マーケットの準備中で寄った。途中でパラパラと降りましたが、出店者のみなさんの元気で晴れそう。10時半に議会事務局に寄り区の保険手続きで保険会社へ。続いて、宮城東部地方振興事務所水産漁港部で「みやぎ水産の日」の取り組み。外は県漁協と喜栄さんはじめ盛んです。の「山大Sustainableふれあいコンサートin石巻合庁」が午後0時15分からだ。急いでお昼は、12周年 おやつショップさらの家さん。おめでとうございます。12周年祭の初日にに来れて良かった。午後1時からは、第4回和み塾は、日本遺産「みちのくGOLD浪漫」。前回に引き続き学芸員の泉田さんを講師にお願いした。2019年5月に日本遺産(地域の文化財や伝統芸能を物語としてまとめ、観光振興などで地域活性化を図る制度)にGOLD浪漫は涌谷町と気仙沼市、南三陸町、陸前高田市、岩手県平泉町の5市町が文化庁に認定された。奈良時代に涌谷町で日本初の金が産出されたことや、奥州藤原氏が豊富な金を背景に発展させた平泉の物語などを紹介。中尊寺金色堂(平泉町)や明治時代に有数の産出量を誇った近代鉱山「鹿折金山跡」(気仙沼市)など43の文化財で構成する。石巻市の金華山にある金華山黄金山神社は、涌谷町で取れた砂金が奈良・東大寺の大仏建立に使われたことを祝って建立されたとされ、「3年続けてお参りすればお金に不自由しない」との信仰がある。金華山道は金華山に向かう参詣道。2022年7月29日、5市町でつくる推進協議会は追加認定を申請し認定された。~はじまりは一粒の“砂金”から~日本で初めて“金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。古来より「みちのく」と呼ばれ、現在の岩手県や宮城県を含むこの地には、約4億5千万から1億年前につくられた金鉱脈が眠る特異な地質が広がっている。「日本で“金”は採れない」とされていた当時の常識を覆した一粒の砂金の産出は、人々の心に“金”への憧れを生み出した。≪奥州・平泉≫ 皆金色の理想郷。≪黄金山産金遺跡≫ 日本の“金”発祥の聖地。≪玉山金山≫ 金山採掘の栄枯盛衰。≪鹿折金山・大谷鉱山≫ 日本のゴールドラッシュの一翼を担った近代鉱山。砂金採りに始まったみちのくの金採掘はやがて地域一帯の川や海に広まり、アジア有数の産金地へと成長し、鉱石から金を分離する技術が確立されると戦国武将たちは積極的に金山開発を推し進めました。近代、最新技術の導入によって大規模採掘が可能になると、みちのくの産金は最盛期を迎えましたが、昭和後期には終焉を迎えます。みちのくの地は、悠遠な地質史をベースに1,250余年に及ぶ日本の産金史が紡がれた稀有な場所でした。日本で初めて“金”が産出されたのは奈良時代の陸奥国。現在の岩手県や宮城県を含み「みちのく」とも呼ばれるこの地が生んだ“金”は富の象徴のみならず、奈良・東大寺の大仏や平泉・中尊寺金色堂を彩り、祈りの対象として人々の心に光を灯し続けてきた。葛西大崎一揆は、天正18年(1590年)に発生した、豊臣秀吉の奥州仕置により改易された葛西氏・大崎氏らの旧臣による新領主の木村吉清・清久父子に対する反乱。文禄3年(1594年)の金山一揆は、豊臣秀吉>>の増税に抵抗して、金山の掘子たちが起こした「強訴」と呼ばれる抗議行動。御本判肝入の系譜。遠島大原浜の掃部左衛門。金山の衰退。江戸時代の金華山をひもとく。霊場 金華山と真言宗大金寺。江戸時代の金華山と弁財天信仰→女人禁制・修験の霊場。金華山詣・金華山道。山鳥の渡しから船に乗り金華山へ。一の鳥居は、天保14年(1843年)9月の建立。長沼家文書。山鳥の渡しから金華山へ。金華山に渡る。金華山をめぐる。その後の金華山。楽しい質疑応答で盛り上がった。

コメントは受け付けていません