9月29日(月)ヒガンバナ
『天皇家ゆかりの京都・泉涌寺で遺骨発掘、鎌倉期の開祖か お堂の解体修理で発見』と日本経済新聞。天皇家の御寺として知られる泉涌寺(京都市東山区)は28日までに、境内の「開山堂」の解体修理に伴う発掘調査で人骨が見つかったと発表した。中国の宋風仏教を導入したとされる鎌倉時代の僧侶で、寺の開祖・俊芿(しゅんじょう)の遺骨の可能性が高いという。調査は昨年8月~今月に実施。開山堂には石塔があり、レーダー探査で反応があった地下を掘り返すと、14世紀前半ごろの中国産のつぼ(高さ33センチ)が見つかった。泉涌寺の長い歴史と俊芿律師についてより具体的に知ることができる史料だ。興味が湧いてくる。
さて、今年2月27日亡くなった叔母の墓参りに大崎市の曹洞宗浄泉院へ。道が細く「熊 出没注意」の看板に驚いたが、無事に合掌できた。帰り道で、大崎神社を参拝。主祭神は、瀬織津姫命、家津御子命。現在の神社は、貞和5年(1349)創建と伝えられる伏見本屋敷に鎮座の村社三十六所神社に、旧大崎村内の各神社(愛宕神社・宝龍神社・稲荷神社・白山神社)を明治41年に合祀し、さらに翌明治42年には熊野神社社地に三十六所神社の社殿を遷座、同時に熊野神社を合祀して、大正7年に村社大崎神社と改称したものであると宮城県神社庁。ヒガンバナが綺麗に咲いていて、天皇陛下即位記念樹「梓」の柱があった。遅めのランチ冷やしとろろそばをいただき、4月に亡くなった田尻の従兄弟の焼香。途中、至る所にヒガンバナ(曼珠沙華)が咲いていた。ヒガンバナの花言葉には、全体で「情熱」「独立」「諦め」「悲しい思い出」「再会」などがある。特に「悲しい思い出」や「諦め」、「再会」は、お彼岸の時期に墓地で見かけることや、花と葉が同時に出ない「葉見ず花見ず」の生態に由来すると書いてあった。合掌。帰路で、朝の鎌倉期の開祖の記事があったが、大崎市岩出山、仙台藩初代藩主 伊達政宗公ゆかりの地に、古代神を祀る神社が御鎮座している。謎の姫神、瀬織津姫を祀る神社、荒雄川神社。また同地区には、田んぼの真ん中に謎の古代神 アラハバキ神が祀られている神社が鎮座している。大崎神社も振り返り、いろいろ思いが馳せる。夜、人間関係の複雑さと変わらぬ性格で波が出ているとの連絡を受ける。相手を思う思いやりがあればすむと改めて思った。