10月16日(木)三重県松阪市
朝から小雨。1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いの後、1601年に本多忠勝は上総国大多喜城主から初代桑名藩主となる。昨夜、夕食を食べたのが、蛤将軍。ロゴに鹿の角のように見えたが、本多忠勝の兜のようだ。それでも、兜は、「鹿の角」(鹿角脇立)がついた「黒塗り十二間椎実兜」。なぜ鹿かといえば、忠勝が戦の最中に鹿に助けられたことに由来する。忠勝、桑名城を築城し、港町・城下町・宿場町として桑名を発展させるための都市計画「慶長の町割」を実施し、現在の桑名市の礎を築いたと。焼き蛤を食べたが、伊勢湾に面し質の良い地理的条件などで、昔から「その手は桑名の焼き蛤」という語がある。時代は、タイムスリップし当時の思いに馳せる。
さて、視察2日目、移動して三重県松阪市を行政視察。テーマは、『地区防災計画について』。松阪市議会楠谷さゆり副議長から歓迎のご挨拶、山口委員長挨拶し、松阪市防災担当参事兼防災課長(市長直轄で部に所属しない)が、松阪市の概要、三重県のほぼ中央に位置し、東は伊勢湾、西は台高山脈と高見山地を境に奈良県に接し、南は多気郡、北は雲出川を隔てて津市に接している。地形は、西部一体が台高山脈、高見山地、紀伊山地からなる山岳地帯、中央部は丘陵地で、東部一帯には伊勢平野が広がり、北部を雲出川、南部を櫛田川が流れている。東西50km、南北37kmと東西に長く延び、総面積で623.58㎢、人口は、約155,078人。平成25年6月に災害対策基本法が改正され、地域住民が主体となって、居住地区の特性や想定される災害に合わせて、防災活動の内容や避難方法等に関する計画が「地区防災計画」として位置づけられた。取組みの背景として、過去の大災害と頻繋化・甚大化する風水害と南海トラフ地震。沿岸部エリア、山間部エリア、市街地エリア(人口8割)。平成26年三重県が南海トラフ地震の震度分布図・津波浸水予想図を発表。人的被害・死者→津波からの避難が最重要。避難者32,000人→地域毎に取り組む防災が重要。防災とは(災害対策基本法)→明文化したもの(防災計画)。計画ルールを自ら決め、形にして共有することで自助・共助の意識高揚、地域コミュニティの良好な関係づくりなどが期待され、自助、共助、公助の役割分担が明確になり、効果的に地域全体の防災力向上を目指すものであり、松阪市では複数の地区において地区防災計画を策定している。自治体の防災計画(市内各地区毎の細やかな防災計画。ボトムアップ型の計画で対象は、市内43の地区住民自治協議会を平成30年度から取り組みを行い現在11地区で策定。策定推進に向けた、取組みのポイント⑴地域住民の防災意識の醸成、⑵地区防災計画の必要性を認識、⑶地区防災のリーダーの育成、⑷策定のプロセスを大切にする。地域や団体に向けて地区防災計画策定セミナーなど。今年度のカリキュラム。地域や団体に向けて、知識の取得、行動の確認(昨年度111回出向、参加者約10,000人。松阪市の取組を学び、今後、本市の地区防災計画に役立てたい。