10月24日(金)歴史感

 高市早苗首相の所信表明演説で、冒頭「私は、日本と日本人の底力を信じてやまない者として、日本の未来を切り拓く責任を担い、この場に立っている」と切り出し、、「今の暮らしや未来への不安を希望に変え、強い経済を作る。そして、日本列島を強く豊かにしていく。世界が直面する課題に向き合い、世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す。絶対にあきらめない決意をもって、国家国民のため、果敢に働いていく」と、首相就任の決意を改めて強調した。なかでも、幕末の思想家、吉田松陰の漢詩「事を論ずるには、まさに己の地、己の身より見を起こすべし、すなわち着実となす」との言葉を引用し、自らが暮らす地方の重要性を強調と松陰は安倍晋三元首相と同じく山口県にゆかりがある。また、聖徳太子の「十七条の憲法」の最後の一節だった。「事独り断む可からず。必ず衆と与に宜しく論ふ可し」と重大な事柄は決して独りで決めてはならない。必ず多くの人々と共に論議すべきであるという意味。メリハリがあって良かったと思う一方で、情け無い国会議員の激しい野次がテレビ中継でも流れ、それを遮るように高市首相が声を張る場面も。ネットでは「野次がひどい」「野次飛ばす国会議員どうにかして!うるさくて聞こえない」「非常識レベルのマナー違反」「野次飛ばしてるヤツ、うるせえ」「聞く権利の侵害」と非難が殺到。テレビ局のネット中継映像で自席から何かを叫んでいる様子が映し出された野党議員ら複数の名前が浮上した。ネット中継だけでは何と口にしていたかは判別が難しいが、「主犯不明」のまま、これらの議員のSNSには抗議・非難の投稿が殺到する騒ぎに。1時間で2000件近いコメントが殺到しているケースもとアップされていた。
 さて、所信表明の引用の如く、国家を論じるには歴史感が必要だ。本日は移動で帰路だが、朝、ホテルから阿智神社を参拝。倉敷の古名は「阿知」、阿智神社は倉敷総鎮守の神社。このことは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来しているという。岡山県神社庁によれば、社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。古来この一帯は吉備の穴海と称され、内海深く湾入し社地は内亀島という小島であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したとも伝えられている。室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組(ゆふだすきぐみ)が交代執行し、江戸中期に観竜寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、同2年神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。当社は倉敷の中心部、美観地区の鶴形山の頂上にあり、広い境内には蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在し、中腹の斎館の風雅な庭には陰陽の盤座のほか水琴窟もある。また、能舞台、絵馬殿、芭蕉堂等もあり、本殿北側の「阿知の藤」は曙藤では日本一大きく古く、倉敷市の市花でもあり、県の天然記念物に指定されて、毎年5月5日の藤祭には多くの人で賑わうと。続いて、美観地区内の『浄土宗誓願寺』は、嘉永2年(1849)に建立され、本堂は、倉敷で最も古いとされている。天皇所縁の菊の瓦紋が目印があり、門構えをくぐり、一般の人は入れないが、まっすぐ進むと今度は寺名である“誓”の文字が瓦に彫られている。その名の由来は仏様の誓いである「皆を救う」という浄土宗の教えからだそうだ。しっかりと歴史感を持ちたいものだ。夜は、お通夜と自宅で延期していた妻の誕生会。

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