11月2日(日)五行歌の会主宰
全国鯨フォーラム2025関連イベント「くじらうまいもの市」が観光物産館施設cottuで開催。中村産業部長ほか昨日ご一緒した大地町立くじら博物館稲森大樹館長、大地町漁業協同組合脊古輝人組合長さんらとお会いした。昨日食べれなかったお振舞いもいただく。桜坂高校ブースやテント、利きくじら(ミンククジラ・ツチクジラ・スジイルカ)など大勢で賑わっていた。市内で図書を購入し午後3時から石巻五行歌会代表の佐藤沙久良湖さんのお誘いで、「五行歌の会」主宰の草壁 焔太さんと懇談の機会をいただいた。なんでも岩手県盛岡市の石川啄木記念館のリニューアルで訪れた帰りにお寄りいただいたと。地元の荻浜で大森旅館で 『港町 とろろとなきて輪を描く 鳶を圧せる潮曇りかな』と詠み歌碑もある。先生は、1938年3月13日生まれ。香川県伊豆島高等学校、東京大学文学部西洋哲学科卒。1956年、前川佐美雄の「日本歌人」に入会、1957年、新詩型「五行歌」を創案し、1966年第一詩集「ほんとうに愛していたら」を刊行。その後、多くの詩集を出版し、「絶唱」「湖上」「詩壇」と詩歌雑誌の主宰を務めた。1993年五行歌集「心の果て」を刊行、1994年4月、「五行歌の会」を創立、月刊『五行歌』を創刊し、「五行歌の会」主宰として五行歌の普及に努めている。私からなぜ、五行歌なのですか?と伺うと、日本人は、中国から630年頃に漢詩が入り(五言絶句・七言絶句)、リズミカルな和歌(五七五七七)へ。これが入るまえは、古事記などにもあるように自由に短い詩を書く「古代歌謡」だったと。古代歌謡は、奈良時代から平安初期にかけて成立した、古代の歌謡の総称で、具体的には、『古事記』や『日本書紀』に収録された「記紀歌謡」や、現存する日本最古の歌集である『万葉集』に収められた和歌など。字数、音数にはまったくこだわらず、自分の呼吸に合わせて、いきいきとした詩歌をつくっていたと。
『花びらの
小さな
ふくらみに
あの人の指を
かくしてやるのだ』。
五行歌は、音数も自由で長くても、短くてもかまわない。日本の歌は、漢詩でも西洋詩でもないという心構えからなると。そして、いま生きている人の、それぞれの呼吸のままにうたうと、自然な、その人らしい生きたうたになるので、いっぱい作って下さいねと。笑みを浮かべてお話しいただいた。五行歌普及で120歳まで頑張ると話され、お別れした。とっても良い時間を過ごすことができた。