12月31日(水)希望の年へ

 日本経済新聞春秋に、NHKの紅白歌合戦は当初、正月番組だった。第1回は1951年1月3日にラジオで流れている。大みそか版はテレビの本放送が始まった53年からで、この年は正月にラジオ、年末はテレビと紅白が2度あった。ずっと正月枠で続いていたら、趣はだいぶ違ったろう。吉行淳之介は年初よりも暮れの紅白を推している。番組を「空騒ぎ」としつつ「悔いの多い一年を十二月三十一日に振り返って嚙みしめる気分に、その番組がうまい具合に符号してくる」(「大晦日」)。作家ほど皮肉っぽく見るわけではないけれど、メロディーに身をゆだねれば、ゆく年の残像が行き来する感は確かにあると。いろいろな1年であったが、大きな出来事を振り返る。来る年へ希望をつなぎたい。
 さて、今年も最終日で挨拶回り。大川小学校に15年ぐらい通っているが、寄ってという声が聞こえたのでお邪魔した賀茂小鋭神社。昭和31年、宮城県文化財指定された。桃生六座の一つで平安時代(800年代)に設置されている。古くは小田神ととなえ、小鋭神社と称した。後、京都加茂別雷神社の分霊を得て合祀され、以来、賀茂小鋭神社と称されている。奥の院に御神像七体が安置され、ほとんどが木像カヤ材一木造りで、鎌倉時代初期の作である、神社の境内は広く、樹令数百年の杉、松が茂っていて深遠である。主祭神は、小田神、賀茂別雷神、賀茂建角見神、玉依姫神。宮城県神社庁によれば、鎮座地の屋根伝い石巻市渡波に至る山が牡鹿の柵との説あり。創祀年は柵創設と関連すると思われ延喜の制に列す。三宝院弥介の祖先、福地山の神の山に勧請、小鋭神社と称した。後紫桃氏の祖、京都賀茂神社の分霊を得て合祀。(文治2年)。明治5年11月28日郷社に指定。明治40年3月幣帛供進社に指定された。昭和21年宗教法人令により承認。同27年宗教法人法により宗教法人の認証を受けた。鎮座地は牡鹿半島の東の付け根に位置し、同半島の西の付け根に位置する石巻港との内陸水路交通により近代以前殷賑をきわめたと言われると。参拝し、清々しく新年を迎えらそうだ。夕方、息子夫婦がやって来て、楽しい晩餐。余り聴いたことのない歌を聴きながら紅白を楽しむ。堺正章さん、矢沢永吉さんや郷ひろみさん、高橋真梨子さん、布施明さん、石川さゆりさん、ユーミンなどのパワフルなパフォーマンスを見て感激しつつ来年へ期待したい。

コメントは受け付けていません