8月23日(日)玉川先生

 『「大学全入」でも浪人増 2浪生は1.5倍に 一般入試、狭き門』日本経済新聞チャートは語る。私立大学の約半数が定員割れとなる「大学全入時代」にもかかわらず、浪人生が反転増加の兆しをみせている。推薦や総合選抜による入試が広がって一般選抜の枠が縮小し、「滑り止め」も機能しづらくなってきた。受験生の負担は重くなる。東北地方出身の都内に住む大学生(19)は2027年の大学入試に向けて準備中だ。志望校は現役時代にわずかな点差で不合格になった東大理1。1浪して早稲田大に入学したが親に内緒で受験勉強を続けているという。記事でわかることは、少子化なのになぜ浪人生は増加。一般選抜の入学者、25年で何割減った。「滑り止め」の難易度を落とすワケ。多面的な能力評価を目指した新たな入試制度が受験生の選択肢を広げた反面、複雑になった制度は少子化の時代に新たな受験戦争を生んだとしている。
 さて、トリコローレなどイベントが多い中、マルホンまきあーとテラスで和み塾で玉川宏先生の講演。津軽地方に伝わる史料(『津軽外三郡誌』など)に基づき、日本古代史の通説に異議を唱える講話を行った。玉川氏の講話の主要な論点は以下の通り。1. 古代史の再解釈: 神武天皇系譜の断絶、古代民族「そべ族」「つぼけ族」の存在、安比彦・長曽根彦による「日ノ本の国」の建国(都は弘前の三輪)、そしてBC668年の親族漂着による稲作(インニ)伝来など、通説とは異なる歴史像を提示した。特に、津軽が本州初の水田地帯(2600年前)であるとし、田舎館村垂柳遺跡や砂沢遺跡をその証拠として挙げた。2. 歴史の抹殺と再評価: 津軽為信による歴史改竄、南部盛行による語り部虐殺、そして現代の『東奥日報』による偽書キャンペーンなど、『津軽外三郡誌』を巡る抹殺の歴史を詳述。一方で、書籍『津軽外三郡市の逆襲』刊行による再評価の動きにも言及した。3. 秋田孝季の実在と業績: 偽書論者が創作とみなす博物学者・秋田孝季が実在したと主張。田沼意次の命によるロシア情勢調査や、ギリシャ・エジプトへの渡航(パルテノン神殿への刻名伝承)といったエピソードを紹介した。4. 古代信仰と史跡: 津軽平野にあった高さ70mの「三和山石神」が古代の信仰対象であったが、1717年に津軽藩によって破壊された経緯と、講師自身が2年半かけてその痕跡を再発見した調査過程を詳述。また、津軽発祥とされる「三つ鳥居」についても解説した。また、ロシアの領土的野心の歴史的背景にも触れ、歴史を通じて体制が変わっても変わらない本質があることを示唆した。全体を通して、埋もれた郷土史の掘り起こしと、通説を鵜呑みにしない探究姿勢の重要性を強調する内容となった。「日ノ本の国」建国: 神武天皇に敗れた安比彦・長髄彦らが津軽へ落ち延び、弘前を最初の都「三輪(みわ)」として「日ノ本の国」を建国したとされる。国境は太平洋側が安比川、日本海側が糸魚川と定められた。古代の先住民族: 日本列島最古の民族「そべ族」と、その後に大陸から渡来し三内丸山遺跡を築いた「つぼけ族」の存在を提示。 語り部の存在: 氷河期の記憶さえも口承で伝えた「語り部」が存在し、「木正」という木のノートに独自の文字で記録を残していた。しかし、1443年に南部盛行によって多くの語り部が虐殺された。3. 稲作起源と考古学的根拠(津軽最古説)稲作伝来: BC668年、親族(秦の始皇帝の系統とは別の「親」一族)が内乱を逃れて津軽に漂着し、2種類の稲種(インニ)をもたらしたとされる。本州初の水田: この伝承に基づき、本州最初の水田は津軽で始まったと主張。田舎館村垂柳遺跡(2200年前とされるが、伝承では2600年前)や砂沢遺跡がその証拠とされる。見過ごされた遺跡: 圃場整備の際、文化財保護法による事業停止を恐れた住民らにより、垂柳遺跡より古い可能性のある大猫地区の田んぼ跡が「見なかったことにされた」という証言を紹介。将来的な花粉ダイアグラムによる検証に期待を寄せた。4. 古代信仰・史跡と歴史上の人物- 三和山石神: かつて津軽平野に存在した高さ70mの信仰対象の岩。男石神と女石神からなり「遊びの神様」として信仰された。1717年に津軽藩によって破壊されたが、講師が2年半かけて痕跡を再発見した。- 三つ鳥居: 三和山石神図にも描かれている、中央の鳥居の両脇に小型の鳥居を配した形式。津軽が発祥とされ、奈良の大神神社や秩父の三峯神社に現存する。秋田孝季: 200年前に実在した博物学者。田沼意次の命でロシア情勢を探り、ギリシャやエジプトまで渡航。パルテノン神殿に名を刻んだという伝承が残る。講師は彼を顕彰する「秋田高須修士研究会」の事務局長を務める。荒巾神社: 津軽藩が1717年に爆破した一方、江戸城では徳川家によって大切に保存されていた。これは600年代に安倍安藤一族が造ったものとされる。安倍貞任: AD1062年の「前九年の役」で、一族の虐殺を避けるために自決した。第2部では、講師が安倍・安藤一族の系譜と古代から中世にかけての東北・津軽を中心とした歴史観を提示し、学校で教えられる日本史(特に日本書紀や律令制に基づく公式叙述)との齟齬を具体例とともに批判的に検討した。安比彦から始まる源国の建国(BC661/BC651年などの年代言及)や、前九年の役(厨川、盛岡市)後の再起、1443年の津軽から北海道・秋田への退避と松前藩成立、1440年の日本海津波に伴う安倍・安藤家の各地港湾への離散などを詳述。安倍晋太郎・安倍晋三の系譜を安倍・安藤一族に直結させつつ、家訓としての反戦平和主義(「討ち死にを禁ず」)を強調。日本書紀の阿部比羅瀬(阿部平瀬)遠征の勝敗叙述が実態と逆であること、秋田城・多賀城などの「作(前線基地)」の位置づけが、実際には貿易拠点であり軍事侵略ではない側面を持つことを述べる。戦後政治では岸信介の位置づけやアメリカの政策転換(1950年前後の朝鮮戦争、警察予備隊創設)に触れ、安倍家の一部例外(安倍晋三)を除く平和志向を再確認。講義は2026-08-23時点での政治見通し(高市早苗の将来など)にも言及し、最後に休憩を告げて終了した。1. 安倍・安藤一族の起源と家訓・安比彦の出自と建国, 安比彦・第2部では、講師が安倍・安藤一族の系譜と古代から中世にかけての東北・津軽を中心とした歴史観を提示し、学校で教えられる日本史(特に日本書紀や律令制に基づく公式叙述)との齟齬を具体例とともに批判的に検討した。安比彦から始まる源国の建国(BC661/BC651年などの年代言及)や、前九年の役(厨川、盛岡市)後の再起、1443年の津軽から北海道・秋田への退避と松前藩成立、1440年の日本海津波に伴う安倍・安藤家の各地港湾への離散などを詳述。安倍晋太郎・安倍晋三の系譜を安倍・安藤一族に直結させつつ、家訓としての反戦平和主義(「討ち死にを禁ず」)を強調。日本書紀の阿部比羅瀬(阿部平瀬)遠征の勝敗叙述が実態と逆であること、秋田城・多賀城などの「作(前線基地)」の位置づけが、実際には貿易拠点であり軍事侵略ではない側面を持つことを述べる。戦後政治では岸信介の位置づけやアメリカの政策転換(1950年前後の朝鮮戦争、警察予備隊創設)に触れ、安倍家の一部例外(安倍晋三)を除く平和志向を再確認。アメリカのエージェントとして岸信介を選び、日本の政策運営に影響を与えたという講師の見立て。孫の安倍晋三の対米協調も系譜的連続性として位置づけなど。終えて、懇親会、お疲れ様でした。

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