11月26日(金)筆蝕
サライ12月号を読む。「手習い」これ修養なりの大特集で『書』に親しむが掲載されていた。書家の石川九楊さんが書の美、書の愉しみについて「紙と筆尖が出会い、触れ合い、わかれて点画を生む。書の愉しみは、その”筆蝕”の過程にある」と解説。何と素晴らしい表現なのだろうか。「書く」行為は作者の身体の少し先の外部に筆蝕し、そこに作者の生き方やスタイルが投影される。これが書体で、文字でいえば文体と同じで、書は人なりといわれる所以。石川さんの著書に「筆蝕の構造」があるが、喪中葉書や年賀状などワープロやパソコンの普及により文面どころか宛名まで作成されると「書き言葉」の終焉をもたらすと氏は警告する。忙しい中であるが、ゆとりを持ちたいものだ。
さて、狐崎事務所から小積浜地区の地デジの移りが良くないためデジサポ宮城が現地調査に「難視」を確認していただいたが、デジタル化でアナログ放送が消えるのは何となく寂しい感じもする。夜は市役所うしお会総会、障碍児と歩む会へ。